「文章題の解き方の定石」は文章題の苦手を助長させる
指導要領の改訂、共通テストの方針、探究学習の充実など、近年は生徒に考えさせる教育が重視されています。
こうした方針自体は決して間違いないものだと思いますが、一方で大学入試(特に一般入試)の現状との乖離が問題となりつつあります。
いくら思考力を重視した入試を記述試験で出題している、といっても大半の大学は定石網羅とパターン暗記で合格ラインまでは到達できるからです。
(そしてそのノウハウは常に更新され教育産業が発信している)
とはいえこれもまた必然であり、個人的にはそうした「いたちごっこ」がある種の教育技法や教育方針の自然淘汰を起こし、より効果的な手法の発明に繋がっているとも思っていたりはします。
文章題が解けない生徒の増加
そうした現代の教育方針とは相反するように文章題が解けない生徒が増加しています。
これは定量的な観測ではなく、あくまで主観的な感触でしかないのですが、一昔前よりも明らかに増加している印象です。
この傾向の原因は生徒の能力が低下しているわけではなく、主因は問題自体が難化しているためではないかと私は考えています。
入試問題などは基本的に以前に出した問題と同じ問題を出題できないため、毎年練り直します。
その過程でどうしても少しだけ捻った内容となるため難化します。
加えて近年は思考力重視の方向の問題を出すべきという不文律が強く影響するため、どうしても難しくなりがちなのです。
その上、思考力重視の教育を受けたはずだ、という意識を出題者や指導者も持っているため、その実態との乖離によってさらに解けない状況が強く印象づくことになるように感じています。
「文章題の定石」
様々な問題に関して定石的な解き方は存在します。
この手のやり方を嫌う思考力万能主義者の方も数学指導者の中には存在します。
しかし絶対的な正解ではなくとも、まずもっての一手目という意味での定石の存在は否定できません。
(以前は某大手予備校などではこの時はこうしろ、的な教え方をしていたいい加減な講師も大量に存在しました。その名残からアレルギー的な反応を起こしている可能性はあります。)
数学の文章題におけるもっとも有名な定石はこれでしょう。
おそらくこれは小学校、中学校の頃から慣れ親しんだセリフではないでしょうか。
そしてこれこそが文章問題を解けなくさせる最も大きな原因であり、複雑化、難化している現代の文章題に適合しないルールです。
大意把握を必ず行う
数学の学習と考えると数字、式を使うと考えがちです。
しかし、他教科と同じで大事なことはまずきちんと状況を把握することです。
そしてそういった理解、状況把握、整理は脳内において言語(母語)で行われます。
つまり問題に書かれた内容や状況を言語化するプロセスは思考を行う上で不可欠なのです。
例えば以下のような問題を考えます。
このような問題を考えるときに、先ほどの定石では何をxと置くかを考えます。
しかしこうした問題において重要なのは何と何を比較するかをまず考えることです。
今回の場合、問題中で比較をしているのは「入会金を払って買った費用」と「入会金を払わずに買った費用」であり、入会した費用が安い条件を知りたいことになります。
したがって以下のように方針を立てます。
ここまでを言語で整理してから、その上で文字を使わなければいけない(文章中に情報の無いもの)を考えれば、個数をxとする必然性が見えてきます。
こうしたやり方は研究として立証されたものではなく、あくまでも私自身の経験則に基づく手法ではありますが、生徒を見る限りでは一定の効果が測定出来ています。
「できる人」が飛ばしているプロセス
上記のプロセスは、実は「できる人」(知能や熟練度の高い人)が無意識的にショートカットしているものです。
文章読解力や情報整理能力の高い人は文章から比較対象がすでに思い浮かんでいます。
そのためわざわざこうしたプロセスを経なくとも式が立ってしまうことになります。
その結果、彼らは「何をxと置くか」が最初に思い浮かべるトピックとなり、それらが定石として伝わることになったのではないでしょうか。
そしてそうした「定石」が理解を阻害しているように思うのです。
苦手な生徒の分からないポイントこそ
数学(他教科もそうだとは思いますが)の授業において重要なことは、こうした熟練者が無意識にショートカットしているプロセスや思考をいかに言語化して初学者に伝えることだと思います。
本年度、私は習熟度の低いクラスを担当しています。
彼らがしてくる質問やペンの動き、答案などはそうした気づきを得る大きな機会となっています。
指導歴が長くなり、見落としが増えているように感じる40代、改めて言語化を意識したいところです。
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