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「フェラーリ乗り」を排除は「軽自動車乗り」の首を絞める

東洋経済オンラインに以下のような記事が上がっていました。

要約すると、フェラーリに乗るような金持ちも恩恵を受けるような政策をすることに反対、ということのようです。

著者の本当の意図はそこではないようですが、明らかに釣りを狙ったタイトルとなっています。

フェラーリを買える層はどの程度存在するのか

日本においてフェラーリを買うことができる高所得者はどれぐらい存在しているのでしょうか。

日本で新車で購入できるフェラーリのうち、最も低価格なモデルは「フェラーリ ローマ」です。これが2756万円から、ということなので3000万円と考えることにします。

一般的に無理なく自動車を購入できる金額は年収の半分と言われている基準を当てはめると買える層は日本にほとんどいなくなるので、年収2000万円以上とします。

そこで、厚生労働省の「2021年 国民生活基礎調査の概況」を見てみると、日本の世帯収入で2000万円以上の世帯はわずか1.4%であることがわかります。

つまり、日本においてまともにフェラーリを買うことができる個人はほとんど存在しない、ということになります。

高所得層を選別するコストを度外視

電気やガソリンの補助を行う場合、供給側に価格を下げるための補助金を注入するのが最も簡単な手法になります。

そのため、全世帯一律に軽減の恩恵を受けることになるわけです。

ここで、高所得者を排除しようとする場合、前記の手法を使うことはできず、高所得者以外に補助金を渡す仕組みが必要となるわけです。

そのためには高所得者か否かを選別することが必要になります。

こういった新たな仕事を作ると、そこには人員を割くことが必要となり、たった1.4%の人を排除するために、社会コストが増大することになります。

もちろん、マイナンバー制度を完全普及させれば、自動的に判別するシステムの構築も可能でしょう。しかし、現状はそうではないため、補助金などによる受益者の振り分けは無駄を増やすだけになるでしょう。

地方と都会の価値観の違い

ガソリンなどの燃料費に関して、東京などの大都市に住む人はそれほど生活に大きな影響が無いでしょう。

筆者の考えでは、所得の低い層は自動車を持っていないからガソリンの補助や減税は自動車を保有している高所得者のみが得する政策だ、となるのでしょう。

しかし、地方では所得の低い層も高い層も自動車が必須の社会が形成されています。

さらに言えば、地方でそこそこ高所得な層は自動車の買い替えスパンが短く、比較的燃費の良い自動車や電気自動車などに乗っています。

それに対し、所得の低い層は自動車を買い替えるイニシャルコストが払えず古い軽自動車に何年も乗っていたり、燃費の悪いワンボックスに乗っているケースが多いのです。

したがって、ガソリンなどの補助は地方においてはほとんどの世帯が大きな恩恵を受けやすい政策となるのです。

このあたりの肌感覚は都会に住む人には理解しづらい部分でしょう。

カーボンニュートラル政策の減速

筆者はカーボンニュートラルに絡めて問題化していたようですが、そもそも補助金などの生活支援と環境保護を同列に論じるべきではないと感じます。

それらはそもそもが相反する概念であり、生活の豊かさが担保されたうえで環境問題を考えなければ、参道は難しいでしょう。

実際、ウクライナの件以降、強気だった欧州のカーボンニュートラルへの勢いは弱まっています。

欧州にとって、カーボンニュートラルやEVシフトは自分たちが自動車産業のイニシアチブをとるための手段でしかなく、都合が悪くなるとルールを変えるのは彼らのお家芸なのです。

より広くいきわたる政策を

とはいえ、ガソリン車がそう遠くない未来にはなくなることは間違いないでしょう。

しかし、現時点においては多くの国民の足となり、生活の一部であり、その燃料費は家計に大きな負担となっているのも事実です。

元記事の結論にある「弱者への経済的サポート」こそが、広くガソリンを下げることなのではないでしょうか。

そもそもフェラーリは所有する人も少なければ、日常の足として利用することもほとんどありません。一方で軽自動車は生活手段として日本中のあらゆる場所で、使われています。

わずか1%の人が無駄遣いする(しかもその可能性があるというだけ)ことを考えるよりも、地方において広くいきわたる政策のように思います。

特に、子育て世代は自動車保有率も高く、単身世帯よりも間接的に優遇するという点においては少子化対策支援の効果もあるのではないでしょうか。


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