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受験で求められる能力は社会の求める能力と連動する

受験偏差値の高い大学の学生が自社の社員になったが、思ったほどに活躍しない、という悩みを聞くことがあります。

それとは逆に〇〇大学以上の学生しかうちは雇わない、と公言していたり、学歴フィルターをかけている企業もあります。

受験学力は個人の知的能力と相関はあるのか、そしてそれらは仕事の成果に相関があるのでしょうか。

受験強者の知的能力は間違いなく高い

まず、言えるのは大学受験で成功した、高偏差値大学に合格した生徒の知的能力は間違いなく高いということです。

ここでの能力とは

  • 記憶力

  • 論理的思考力

  • 自己分析能力

  • 忍耐力

などが上げられます。もちろん例外はありますが、いわゆる難関大学へ進学した生徒の中で、上記の能力が同世代の人間と比較して高くない生徒はほとんどいないでしょう。

これらの能力の獲得に関しては、遺伝的要因、家庭的要因、努力要因など様々ですので、一概には言えませんが、間違いなく受験の能力と個のスペックは極めて相関性が高いといえます。

実際、学習指導やその他の指示に対しても反応が良く、教員側の指導の意図を汲んで行動できるケースは多いように思います。

学歴フィルターの合理性

少し前ですが、就職情報サイトを運営するマイナビが学歴フィルターを示唆するメールを誤送信したことが問題になりました。

学歴フィルターという用語は就活界隈では知らない人はいない言葉でしょう。説明会参加の可否から、入社要件にまで大学序列によって線引きされているというものです。

こうした学歴フィルターは以前から問題視され、近年は見直しが進んでいるとされていましたが、未だに存在するということが可視化されたのがこの事件です。

つまり、一定数の企業においては合理性のある選別方法であると認識されているということになります。

求められる能力の変化

一方で社会人として求められる能力は変化しています。

タスク処理的な能力よりも、問題発見能力や協働性が重視されつつあります。

実際、問題の発生やその要因を発見することさえできれば、解決や最適解自体はある程度機械や人工知能などに頼ることも可能になりました。

そうなってくると、先述の能力の高さは決して必須条件ではなくなってきます。

現実に、問題発見やコミュニケーションスキルに対しての比重が高まっています。

ただ、ここで勘違いしやすいのは先述の能力を必要としていない、というわけではないということです。

例えば、産業革命以前において最も優秀な労働者は知能よりも頑強で筋骨の逞しさが求められていました。むしろそれが絶対条件と言ってもよかったでしょう。

しかし、産業革命以後、力を使う労働の多くは機械が代替可能となり、女性労働者の活躍の場が広がりました。

とはいえ、力のある労働者が必要とされる現場はいまだに存在していますし、体力などはいかなる労働者にもある程度は求められる能力ではあるのです。

第四次産業革命

今回の第四次産業革命によって、今後社会では知的能力を機械や人工知能が代替することになります。

すなわち、知的能力の高さが労働者に求める絶対条件ではなくなるということです。

その代わりに発想力やカリスマ性など、人間ならではの能力を求める機運は高まるはずです。

もちろん、先述の頑強さなどと同じで知的能力があるに越したことはないという基準としては残り続けるでしょう。

新しい入試制度と学力観

それに合わせて変化しつつあるのが入試制度です。

推薦や総合型の選抜が増加し、コミュニケーションスキルや英語力などを重視する方向に舵を切っています。

もちろん、一部はこれまでの学力試験を残しつつ、均等割りを目指すのが文科省の方針です。

そうなると、今後の受験学力強者はコミュニケーション力の高さやファシリテーション能力などの高い人間ということになります。

そして、それらは社会が今後求める人材と一致するのです。

変化の時代のしんどさと可能性

今の高校生は、目の前の従来型の学力と、将来求められるそれとは異なる能力の評価で板挟みにあります。

先日書いた記事でも、そうしたことの是非について述べました。

私自身は、今の状況は高校生にとっても、指導者にとってもしんどい一方で、この割合を維持することが多くの生徒の可能性を生かす方向につながると考えています。

学力やコミュ力一辺倒ではなく、多様な試験でそれぞれの得意な方向で進路を確保するという仕組みが定まっていけば、社会全体にとってもよい新陳代謝を促すきっかけになるように思うのです。

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