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「東京23区のデジタル系学部定員増容認」は歯学部、薬学部と同じ轍を踏むのか

現在、東京23区内の大学に対しては、学部の新設や定員増に対して規制がかけられています。

これは大都市への過度な人口流出、特に大学進学時におけるものを防ぐ目的で設定されたものです。

デジタル系学部を対象にした規制緩和

ところがこの政策の見直しがニュースになっていました。

昨今不足が問題となっているデジタル系人材の育成に関する学部に関しては、この規制を緩め増員を認める方向で検討が進んでいるようです。

IT企業の多い都心部においての産学連携の促進や、国際競争力強化とそのための人材育成機関の充実を目的とした政策でしょう。

現在の国内でのIT人材の不足は深刻であり、その対策としては間違いではないでしょう。

しかし、こうした国の政策による規制緩和によって業界構造が一変した分野がこれまでも複数存在します。

その代表例が医療業界です。

歯科医師不足と歯学部の増設による「歯科医師過剰問題」

1950年代までは歯科医師養成を目的とする高等教育機関は6大学(日本歯科大学、東京歯科大学、日本大学歯学部、大阪歯科大学、九州歯科大学、東京医科歯科大学)、1958年の大阪大学歯学部が設立され7大学しかありませんでした。

しかし、1970年に厚生省(現在の厚労省)は1985年までに10万人当たりの歯科医師の数を50人にすると目標を掲げ、歯科医師養成機関の増設を打ち出し、1980年までに29校となりました。

その結果1961年から1979年までの18年間で22大学・学部が新設されることになります。毎年1大学以上増えるという以上な増え方です。

この結果、日本の歯科医師不足は大きく改善されましたが、今度は歯科医師過剰供給が問題化しました。

その結果1982年には歯科医師削減に向けた閣議決定がなされ、定員数の削減目標が掲げられ、実際に各大学の定員数は削られ、歯科医師国家試験の合格率も引き下げられるようになりました。

しかし、2020年を過ぎた現在もこの問題は続いているのが現状です。

薬学部の平成の大増設と供給過剰

薬学部の増設は2つの時期があります。

まずは戦後の増設期です。

戦後の新制学制の開始時期、1949年には国私合わせて全17校に薬学部がありました。

その後、1983年に摂南大学に薬学部ができた時点で国私合わせて全46校となっています。

昭和26年「医師法、歯科医師法及び薬事法の一部を改正する法律」(いわゆる医薬分業法)が制定され、医薬分業が法的に明記されるようになり、薬剤師不足が深刻化しました。

それに伴い、旧制医科大学を中心とした国立大学や、東京、大阪などの大都市近郊を中心に薬学部の設置が行われました。

しかし、その後は19年間も薬学部の新設はストップしていました。

二番目の増設期は平成に入ってからです。

2003年、小泉政権下の規制緩和の流れから20年ぶりに薬学部の新設が行われ、3年間で20大学以上の新設が行われ、その後も毎年薬学部は新設されていきました。

現在、全国に薬学部が存在し薬剤師供給過剰から2025年以降の新設や定員増は規制されることになっています。

旗を振った後に梯子を外す政策を繰り返す政府

これ以外にも、1999年のカリキュラム改定によって、理学療法士や作業療法士の養成校が急増したという例もあります。

これまでの日本政府のやり方を見ると、不足するからといって旗を振って人を集めるだけ集め、その後は梯子を外すというやり方を行っています。

国家資格や法規制をされる医療業界と同一視することは難しいですが、今回のデジタル人材育成に関しても全く同じ雰囲気が漂っています。

今回のケースが規制緩和で首都圏にデジタル人材を集めたよいが、著しい人材の質の低下やAIの活用によって人材の供給過剰とならないことを祈るばかりです。

そして、同時にそもそも大学の学部設置や募集の権限に政府が規制をかけることに関する是非も議論するべきでしょう。

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