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慶應義塾高校の甲子園優勝は家庭の経済力が成果に与える影響を可視化する良い機会


甲子園の結果と賛否

本年度の全国高等学校野球選手権大会では慶應義塾高等学校が見事優勝しました。

この勝利に関して様々な意見がネット上でやり取りされています。

好意的な受け止め方としては、旧態依然とした高校野球文化に新風を吹き込む革新的な集団、といった語り口です。

実際、練習時間の短さ、頭髪、プロ志望ではなく慶應義塾大学に進学を希望するなど様々なトピックにマスコミが飛びつき、SNSでは現在進行形で消費されています。

一方で否定的な意見や反感もネット上には同じくらいの割合で存在していました。

曰く、現代の格差社会の象徴、今以上に格差広がる、といった現代への憂いと富裕層へのやっかみが混ざったような意見です。

今に始まった事ではない

ここ最近、格差の拡大という言葉がしきりに使われるようになりました。

円安や物価高が進む中で生活に豊かさを感じにくい状況なのは事実でしょう。

しかしながら経済力によって教育や進路が大きく影響するのは今に始まったことではありません。

10年ほど前からのデータを見ても世帯平均年収は550万円前後で推移しています。

しかし東京大学の学生の世帯平均年収は75%が750万円以上、半数以上は950万円以上となっています。

実際のところ、慶應義塾のような学費の高い大学ではなくても、そもそも豊かで無ければ学力の獲得が難しい状況であるのは誰しもがしるところですが、こうした所得格差が存在することは昭和の後半から平成にかけて、半ば公然の秘密とされてきました。

高度経済成長で勝ち得た豊かさは国民すべてが享受し、貧富の差を埋めたという幻想が求められたのかもしれません。

野球少年の家庭も裕福という皮肉

決勝戦で慶應義塾高校と戦った仙台育英高校は野球の名門で、そこでレギュラーをとり、甲子園の決勝に選手として出場するのは並大抵の努力ではなし得ません。

ではそうした選手達は貧しい逆境の中で努力をしてきた層でしょうか。

これも実際には小さい頃から少年野球、クラブチームに所属している生徒が多く、その野球環境は保護者のかなりの金銭的負担で成り立っているケースがほとんどです。

もちろん慶應義塾に幼稚舎から通うことに比べれば低い金額ではありますが、高校から慶應義塾に入った生徒と比較をすればそこまで低い負担であったとは決して言えないのが本当のところです。

つまるところ、金をかける分野が異なるだけ、とも言えます。

慶應義塾高校が可視化した

ところが仙台育英のようなスポーツエリートの多くはその努力の見えやすさと相反して、恵まれた環境が見えにくくなっていました。

世の人々が抱く富裕層やエリートへの反発心からなのか、部活動信仰からなのか不明ですが、努力をした凡才が逆境をはねのけて成功するというサクセスストーリーが広く信じられてきました。

むしろ信じたかったのかもしれません。

生まれた瞬間からの経済格差によって、与えられた機会が全く平等ではないという事実は、一億総中流社会という幻想とは相性が悪いのでしょう。

しかし、もはや中流層は全滅し、残ったのは一部の上流階級と大多数の下層民です。

私たちも夢から覚める時期が来ているのです。

今回の慶應義塾高校の甲子園優勝という出来事はそうした現実を可視化し、私たちが夢から覚めるための大きなきっかけの一つとなったのではないでしょうか。



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