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「理詰め」で注意や指摘をした人を敬遠する若者に関する雑感


「最近の若者」論

先日、少し前のツイートが回ってきて気になったので引用リプを書いてみましたが、改めて自分の考えをまとめたいと思います。

テンプレに近い「最近の若者」論の一つで、今回のものは「理詰めで指摘をされた若者は自己否定されたと委縮し、指摘者を敬遠する」若者が増えている、というものです。

実際に増加しているか

そうした若者が定量的に増加しているかどうか、というとこれは当然ながら不明です。

しかし、私の感覚的にも他者から否定されることを殊更に忌避する若者は増えている印象があります。

これは彼らの育った環境や社会状況が大きく影響しています。

現代の若者は学校で叱られた経験がほとんどありません。注意を受けるときも丁寧に説明をされることがほとんどですし、叱責される状況はほぼ皆無です。

またお互いに褒めたり、認めあったりする経験を私たち中高年よりも多く積んでいます。

したがって彼らは自分や自分の行動、結果などに否定的な評価を受けることに私たち旧世代よりも強い抵抗感を持っているのです。

ちなみにこれは現代の大人たちがそうした社会を作ったからであって、彼らや学校、個別の保護者の問題とはまた異なります。

人権意識が高まり、社会全体は豊かになる一方で一人っ子は増加、スマートフォンなどの便利な道具が普及、必然的に個人を尊重する方向にシフトするでしょう。

ジェネレーションギャップ

私たちの一つ上の世代は義理や人情といったものが重視されていたように感じます。

もちろんビジネスの現場でそうとばかり言えない状況もあったのでしょうが、上司が飲みに連れて行って腹を割って話す、家族ぐるみで付き合うといった関係性が肯定的にとらえられていました。

自分が幼いころの父親の様子を思い出すとそうした印象がありますし、職場などの上の世代の人と話をすると今でもその時代の思い出を話されることは少なくありません。

ところが時代が変わり、私たちの世代はそうした環境で育った上司たちから、同じ対応をされることに嫌悪感を抱く人が増えたように感じます。

私自身、そういった人が苦手でしたし、周囲を見ても論理的に説明して注意や指摘をする上司などの上の世代の少数派をリスペクトされ、逆に義理や人情を表に出して押し付ける人は忌避されていました。

この感覚の差こそ、ジェネレーションギャップというのかもしれません。

共感と関係性

一方で現代の若者は論理よりも共感や関係性を重視する傾向があります。

彼らは自分に指摘をする人の論理が正しいかどうか、ではなくその人が自分にいかに共感しているか、その人と関係性が構築できているかで指摘やアドバイスの受け取り方を変えるということです。

つまり関係性が構築できていない相手に対し、「理詰め」で論理的に何が悪かったかを説いたところで、彼らの頭の中は拒絶感だけでいっぱいになっており、その指摘を素直に受け入れることができないのです。

これは私たちが義理と人情を押し付けた上の世代に反発したのと同じ構図で、今度はおじさん化した私たちが「理詰め」を押し付けているということになるでしょう。

このように書くと現代の若者は非論理的で話が通じないのか、と勘違いされることがありますが、そうではありません。
(そもそもそうした人は世代を超えて常に存在しています)

彼らはミスや指摘が的を射ているかどうかはきちんと理解しています。しかし、関係性もろくに構築していない間柄であり、相手に寄り添わずに直接的に指摘する行為が極めて野蛮で粗野なものに見えているということなのです。

まずは「知る」ことから

こうした世代間のギャップは無理に相手に合わせてもなかなかうまくいきません。

若者に媚びて無理やり合わせても中高年のストレスがたまるだけです。逆に若者を無理やり変えようとしてもパワハラとなってしまい、最悪の場合は退職することになりかねないでしょう。

ただ、とは言っても何もしないといのでは相互理解を図ることも不可能になります。

だからこそ大事なのは若い世代がどういった価値観を持っているかをまず「知る」ことです。

彼らの言い分や考えをすべて受け入れる必要はありませんし、無理に自分を変えることもそう簡単にはできません。

しかし、まず「知る」ことができれば、それだけで対応を変化させることはできるはずです。

その態度を持つだけでも、状況の改善に繋がるのではないでしょうか。

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