見出し画像

【題未定】科学的知識の重要性と教育の役割: オーガニックとワクチン問題を通して【エッセイ】

 オーガニックや無農薬、遺伝子組み換えなし、などの概念は常に一定数の支持を受けている。街中を歩けばそれらを売りにした商品や店舗は決して少なくないし、深く考えない限りにおいてはそれ以外のものよりも健康に効果的であろうという印象があるのは事実だ。

 しかし現実には大きく異なる。食糧事情が改善し、多くの人々が飢えなくなったのは農薬がもたらした最も大きな成果の一つだ。これによって大量の食物を安定的に供給できるようになった。加えて言えば、農薬そのものの安全性も半世紀前と比べて格段に向上した。以前は確かに危険性、発がん性の高い農薬などが流通しており、それが公害被害などの原因になった。ところが昨今はそうした物質の分析も進み、また情報公開が進んだことでそれらの多くは社会から淘汰された。

 もちろん、現行のすべての農薬が安全であるとまでは言えない。しかし少なくとも先進国と呼ばれる国においては極端に危険性の高い物質が日常的に使用されることはほとんどなくなったと言ってもよいだろう。さらに言えば、無農薬やオーガニックはそれを行うことで周辺の田畑に対し虫害などの影響を与えていることも否定できない。化学物質は正しい知識を持って利用する限りにおいては決して健康を害するものではないのだ。

 こうした議論はワクチンに関しても同様だ。いわゆる「反ワクチン」と呼ばれる人のSNSでの発信が昨今は盛んだ。先日も体操教室の指導者らしき人物が反ワクチンを主張し、それに医師が否定的な意見を述べる応酬を目にした。

 現在、国が接種を推進する小児用ワクチンを接種しない場合、いずれ子供達の2割が成人することができなくなる、とはその医師の言だ。WHOの統計からもその可能性は極めて高いだろう。ところが反ワクチンの人たちはこう反論する。「ワクチン未接種の子供の方が元気」、「アレルギーも発達障害もワクチンが原因だ」と。そこには統計的な裏付けも、科学的根拠も存在しない。ただの感想と思い込みしか存在しないのだ。

 まず確認しなければならないこととして、ワクチンには2つの意味、効果があるということだ。一つは医療的な個人の病気の予防である。そしてもう一つは公衆衛生の観点からの集団免疫の獲得だ。そして反ワクチン界隈の人は基本的に前者に関する理解が低く、後者に関しては考えすら及んでいない。

 そもそもワクチンの効果は非常に目に見えにくい。かかった病気を治すものではなく、予防するものだからだ。したがって感染しないという結果を見てもそれがワクチンの効果なのか、それとも他の要因なのかの判断は難しい。加えて集団免疫に関しては、そもそもその集団で発生すらしていない病気の予防という場合も多く、無知な人々は誰もかかっていないはずの病気なのに予防のためにワクチンを打つなど「嘘」であり「政府と製薬会社の陰謀」であると狭い視野と浅い知識で判断をしてしまうのだろう。

 こうした反ワクチンというカルトが一定数流行ってしまうことは諦めなければならない。人間社会においてそうした少数のバグは過去も現在においても許容せざるを得ないものだ。しかしこうしたバグが広範に蔓延することは防ぐ必要がある。オカルトが科学にすり替わることはあってはならないのだ。

 その点における数学教育の意義は大きい。統計的な手法と数値指標の意味、標本調査などの概念に触れる機会は貴重である。科学という立場を前提に思考し、その中で統計学が目に見えにくいものを如実に記述するということへの理解こそがオカルトに入信する最適の予防策であろう。

 統計的知識があれば、我が子が未接種にもかかわらず健康であるのが、周囲の接種による集団免疫によって得られた副産物であることに気づくはずだ。そのためにも、統計的な学習は初等課程から強化すべきだ。

 正直なところ、数学屋として個人的には統計学があまり好きではない。興味範囲からやや外れた位置にある分野だからだ。しかし、現状の統計的知識の無い人々の右往左往を目にする限りにおいては、昨今の数学教育における統計重視の方針は決して間違ってはいないだろう。

 反ワクチンの人が抱く多くの漠然とした不安、それは科学的知識の欠如によるものである。そして多くの人はその埋め合わせにオカルトを用いている。しかしそれは建物の基礎にゴミを埋め立てるに近しい行為であり、その上に立ったものはいつかは倒壊する運命をたどるだけだ。

 大事なことは正しい科学的知識、統計学や化学を学び、それを判断すること。あるいは判断がつかないときに、そうした学問に敬意を抱き本当の専門家の言を聞き入れる真摯な態度であろう。

 学校という場が教育を、学問を行う真の意味はそこにあるのだ。統計的な思考力を養うことは、科学的な判断力を高め、偽情報に惑わされないための第一歩だろう。学校教育において、統計学の重要性を再認識し、より実践的な学習機会を提供することが求められているのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?