AIは神に成り代わることが可能か
ChatGPTなどのAIをどう利用するか、その存在をどう定義するかの議論が様々な場所で行われています。
「AI神」誕生
今年の3月には「AI神」なるものが登場し話題になりました。
これはこの「ChatGPT」の最新モデル「GPT-4」を用いて作成されたチャットボットで、人間の行動などを入力すると、「AI神」がその行動を裁定し、0から100までの善悪度で数値化するというもののようです。
これ自体は倫理規範や法律をデータベース化して、行動をそれに当てはめて点数化するという処理を行っているものであり、実際には「神」を予感させるようなものではありません。
「ブッダボットプラス」の開発
こうした遊び半分の話ではなく、現実に神仏に比肩しうるシステムを作る動きがアカデミックな場所にはあるようです。
それが「ブッダボットプラス」です。
もともとは「ブッダボット」と呼ばれる仏教の経典に即して答えるシステムが存在していたようです。
「Sentence BERT」類似文書検索システムで、同じような文章や記述を探す機能です。これはあくまでも経典から類似性の高いものを回答することができなかったわけです。
ところが「ブッダボットプラス」はここにGPT-4を掛け合わせることで、非常に自然に近いやり取りが可能になったということのようです。
この説明を読む限りではAIが神として話す、というよりは高僧に仏教の教えを受ける感覚に近いものなのかもしれません。
AIは神に成り代わることは可能か
このような宗教や経典に即した回答を行うシステムの精度がいかに高まろうとも、このままではAIが神に成り代わる可能性は低いでしょう。
この役割では、あくまでも教えや経典に詳しい人を代替する存在に過ぎないからです。
とはいえ、現状のAIでは「神」に成り代わることまでは難しいようです。
(ここでの「神」は宗教的に人間よりも高次な存在とされる何か)
「神」の存在を信じさせる伝説やエピソードがAIには欠けているからです。
現時点においては、彼らはあくまでもかなり高度なチューリング・テストをクリアした存在に過ぎないように感じます。
しかしそれは現時点での状況に過ぎません。
遠くない未来、しかもかなり近いうちにAIが多くの人々に「神」に近い何かを感じさせる日が来ることは否定できないでしょう。
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