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「子供たちの気持ちに寄り添った」教員人事異動の発表前倒しより「大人の現実に即した」内示の前倒しが優先すべき

都教育委員会は本年度より教員人事の発表を前倒しで行ったようです。

これまでは4月1日に発表されていたようですので、2週間弱ほど早い発表となっています。

理由は“先生とお別れの時間確保へ”

こうした変更を行った理由として記事内で挙げられていたのは以下のようなものです。

児童や生徒などから「異動する先生とお別れする時間がない」として発表の時期を前倒しするよう求める声が上がっていた

こうした声があったことは事実でしょうし、別れを惜しむ時間が必要な方がいるのも理解はします。

ただ正直なところ、こうしたウェットな理由で制度を変更する感覚が個人的には全く共感できません。

私自身、子供のころに担任や担当教科の教員に対してそれほどシンパシーを抱かなかったことが理由としてあるのかもしれません。

また、現在私は私学勤務であり、自身の転勤はありませんが同僚で定年や転職、他私学や公立への移籍をする教員は存在しました。

勤務校では終業式の日に退任の発表があるため、生徒側から別れの時間が欲しいといった声が上がらなかったために、そうした意見にリーチできていないのでしょう。

ちなみに、私が子供のころに通っていた熊本県の学校では、教員の人事発表は3月末に行われていました。

そして、春休みに入ったのちの3月31日に「登校日」という設定で「退任式」が行われていました。生徒側で熱心な人の中にはその数日で花束や寄せ書きを準備していることもあったようです。
(あの先生方は異動先の準備もある中で前の職場の退任式に拘束されるのは負担だったのではないか、と愚考します)

早めるべきは異動の内示

こうした生徒への配慮を錦の御旗にした制度変更は比較的通りやすいのが教育行政関係の常です。

一方で教員側の都合や労働者としての権利に関しては極めて鈍感です。

その例の一つが異動における内示の遅さです。

教員の異動の内示が本人に通達されるのは一般的には2月下旬から3月上旬とされています。しかし、遅いところの場合、3月中旬というケースもあるようです。

これは県内全域が異動区域となる県の場合極めて深刻です。

3月に転居が決まった場合、転居先の物件探しが極めて困難となるからです。

特に近年は異動に関してデリケートとなっている民間も多く、比較的早めに通達が出るケースが増加しており、

さらに学生の進学転居時期とも重なるため、条件の良い物件はほとんど埋まっている状態です。

そこに土日に部活までさせているのならば、どうやって転居の手続きまでできるのでしょうか。

異動の発表を早めても、実際には経済的な利得はほとんど存在しません。
(生花店はこの時期の需要が増えるかもしれませんが)

一方で内示を早めることは、時間の余裕や引継ぎなど公私にわたって影響が大きく、教員の働き方の質やQOLを大きく向上させます。

「別れの時間」は必要か

今回の東京都の人事異動発表時期の改善に関して、そうしたニーズがあったことは事実でしょうし、そういった声を上げる人が存在することも理解できます。

しかし、本当にそんな「別れの時間」は必要なのでしょうか。

教員は子供の生活に関わる存在ではありますが、あくまでも補助者であり、脇役でしかありません。

主役は子供たちであり、それゆえに生徒同士が転出生徒と別れを惜しむ時間が必要なのは同意します。

しかし、そのカテゴリーの中に、脇役である転勤教員を入れるべきなのかどうか、私には疑問です。

かつては強烈な個性で教育を行う教員がいました。その個性の強さゆえの功罪があり、コンプライアンスとしても疑問視される部分がありました。

そうした教員の自由を縛り、個性を薄め、権威を下げ、均一な教育を目指したのが現代社会であり、日本の世論です。

いまさらになって別れを惜しみたいという声は、あまりにも都合の良いヒューマニズムの使い方だと私は感じるのです。

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