公立教員の残業手当不支給に関して、最高裁で敗訴という結果は当然、だが教員の扱いは不当
公立教員に関して残業手当が支給されないという問題に関して、県に未払い賃金約240万円の支払いを求めた訴訟の上告が棄却され、教員側が敗訴した1審、2審の判決が確定しました。
教員の働き方改革に関しては、教員採用試験の倍率が低下する中で社会問題となっていましたが、今回の結審はそうした動きとは逆行する判決のようにも見えます。
SNSでの反応
教員界隈のアカウントではこの判決に対して落胆する声も大きいようです。
現在の教員不足の原因の一つは明らかに業務が飽和状態にある現場の労働問題であり、これを改善することは教員志望者を増やす最も効果的な改革です。
各地の教育委員会では採用試験の前倒しや、教員免許見取得者への見込み採用などを行っていますが、改革の本丸は間違いなく働き方改革であり、今回の判決はそうした動きを司法が認めないような印象を抱いた人も多いようです。
裁判所は正義や正当性を争う場所ではない
こうした印象を持つ人の多くは、裁判所が正義や正当性を認める場所であると勘違いしているように感じます。
そのため、教員の待遇や労働条件に関して問題意識を持つ人たちは今回の判決を司法や行政が教員を見捨てた、という感覚で捉えているのかもしれません。
しかし、実際にはそうではありません。
そもそも、裁判所は法律に対して現状の待遇や処分が妥当であるかを議論し、一定の結論を出す場所でしかありません。
今回の裁判においては、残業手当が出ないということに対して、既存の労働法規や給特法に対して適っているかどうかを議論しました。
そして、今回の原告の主張する残業内容に関しては給特法の超勤4項目に該当せず、残業代が払われないのが妥当だ、という判断を下したのです。
事実、1審の判決文には以下のような付言が書かれています。
裁判所としても、教員の待遇に関して現状が妥当なものであるかどうかは疑問があるが、現行法においては適法であるという判決を出さざるを得ないという判断を下したことがわかります。
どこまでが教員の業務か
今回の判決に際し、教員側が生徒に対して良かれと思っていしている業務のほとんどは校長からの指揮命令による業務として認められませんでした。
教室の整備、整理やノートの添削、採点や教材研究、保護者対応などが業務ではないということのようです。
もちろん、この中には個人のスキルアップや明らかに余剰な業務もあるでしょう。しかし、これらの半分以上は実際に行わなければ現場が回らないのも事実です。
そうした点から見ても、明らかに現行の給特法は時代や実態から乖離した法律となっています。
とはいえ、給特法が諸悪の根源とばかりは言えません。教員の業務が労働時間をきっちり分けることができる類のものであるのもまた事実だからです。
現状の教員の不人気を見る限りにおいても、新たな枠組みや法律を作り、労働条件や不平等を解消しなければ、今後の義務教育は質だけでなく実施自体が困難になりかねないでしょう。
これは公立教員だけでなく、実際に子供に教育を受けさせる義務を負う国民一人一人が自分事として考えなければならない問題だと思うのです。
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