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【題未定】昭和から平成へ:日本社会の豊かさと食文化の進化【エッセイ】

 ここ最近、格差、貧困という言葉を耳にする機会が増えた。10年前と比較して貧しさを体感する人が増えたということだろうか。実際の実体経済がどうかは不明だが、そう感じる人が少なくないのは事実だろう。

 しかし個人的にはそれとは別の感想を抱いている。日本社会は平成の30年間で豊かになったし、確実に今も昭和の時代よりは豊かであることを実感している。もちろん個人的にはそれぞれの経済状況に差があるだろうし、私自身も決して豊かであると言えるほどの状況ではない。しかし社会全体として見れば明らかに豊かな生活が実現しているという感覚はある。そしてそれを最も顕著に感じるのが食文化においてだ。

 昭和56年、1981年生まれの私では昭和という時代の記憶は、最後の5、6年しかまともには存在しない。昭和の実質的に最後の年、63年で7歳になっていた。これは小学1年生であり、決して記憶が鮮明というわけではない。とはいえ、その前後数年も含めて昭和の香りを嗅いだ最後の世代が私の世代ではないだろうか。

 昭和末期から平成初頭の時期の常識は現代とは大きく異なる。特に文化的な側面での差異が大きいように今振り返っても感じる。そしてそうした差異、豊かさの象徴として特に感じているのが食事面、中でも味に関してだ。

 昭和の食事、特に外食や外で買ってきたものは不味いものが多かった。というよりも、味の差が激しい、という印象だろう。特に安い店や出来合いのもののクオリティには差が激しかった。(正確に言えば高級なものに関しては知らない、ということになるが)思い返すと、食事の味をしきりに話題に出すようになったのはいつ頃だったろうか。

 美味しんぼのアニメの放送開始が1986年、この最初の回の記憶は今でも残っている。新聞社の企画で究極の味を求める担当者のテストに水と豆腐を用いるという内容だ。それ以前の記憶は薄いが、そのころから味に関して話題になるテレビ番組が増えたのは気のせいではないだろう。グルメブームに乗って猫も杓子も美味しい店や物の話題がブラウン管に映し出されていた。それこそ山本益博の顔を画面上で見ない日は無かったような気さえする。

 そう考えると、確かにかつてのファミレスの味には問題が多かった。明らかにレトルトやインスタントの風味が強いものも少なくなかった。しかし平成の初期あたりからの技術革新、セントラルキッチンと冷蔵、冷凍技術の向上は明らかにチェーン店の味を変化させた。高校時代に食べたジョイフルのハンバーグは幼少期に食べた記憶のそれとは全く異なるものだった。

 私の生活圏が地方都市だったこともあるのかもしれない。チェーン店の味の革新に気づくのは1990年代後半になってからだった。おそらくはその間に都会から徐々に変わっていっていたのだろう。そうして日本のどんな場所でも、さほど高くない店でそこそこ美味い料理を口にすることができるようになったのだ。

 昨今は外食の味が落ちた、大きさが小さくなった、あるいは価格が上がったと話題になっている。しかし現実にはどのチェーン店においても依然として家庭で出せないレベルのクオリティを1000円もせずに味わうことが可能だ。準備も後片付けも無しにだ。この状況をして豊かと言わずして、何を豊かと言えるだろうか。

 もちろん個々人や家庭によって貧富の格差は存在するし、誰しもが豊かなどと言う気はない。しかし日本における社会そのものは決して貧しくはないのではないかと思うのだ。

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