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時代錯誤なジェンダー観『サイバーパンク エッジランナーズ』

『サイバーパンク エッジランナーズ』というアニメを見た。アニメの表現としてのクオリティは高いなーと思いつつ、ヒロイン的立ち位置であるルーシーに関して色々と引っかかることがあったのでエピソードごとにまとめていきたい。

ちなみに原作のゲームはプレイしてないです。

まずルーシーが物語に出てくるのはep2からである。その時点では主人公かつ新米サイバーパンクのデイビッドに対しての指導者的存在であり、それはep3になって本格的にサイバーパンクとして活躍し始めても同様であった。

つまりは頼れるお姉さんキャラと言ったところかもしれない。とはいえ、このアニメにおいて特に目立つのはルーシーの肌の露出の多さであり、ルーシーの頼れるクールな存在という描き方以上に性的欲望の対象として描かれているように思えてしまう。

これが想像以上に作品のノイズになっている。確かにサイバーパンクというタイトルにあるとおり、SFパンクの世界観にエログロな描写というのは必要不可欠かもしれないが、それはあくまでメインキャラクターではなく他の場面で描写すれば十分に世界観の形成には事足りるだろう。

例えば、ep1では裏BDと呼ばれる非合法の体感型のビデオが世の中に広まっているが、それは実際の犯罪シーンであったり、過激なポルノであったりとまさにパンクな世界を体現している。

ep4でのカプセルに入れられたセクサロイドがバーに置いてあるのも裏世界をわかりやすく演出している。ここまでは世界観の表現に必要だと言えるが、メインキャラクターのルーシーに関して言えば、単純にキャラクターの質を下げていると言わざるを得ない。

露骨な性的表現はそのキャラクターの価値を下げる。 これを書いていて思い出したのはコードギアスのカレンだった。コードギアス、特に第2期のカレンはコックピットに乗っている時の露骨なローアングルの多用がエースパイロットとしての格好よさを半減させていた。

男性が描く女性の性的魅力の描写の多くは窃視症的であり、多くは描写されている本人が望まない形による性的搾取である。そこに自覚的かそうでないかによって作品の質は大きく異なってしまうと思っているのだが、『サイバーパンク エッジランナーズ』においてはそこの自覚がなされておらず、男性の欲望ダラダラアニメへと成り下がってしまった。

それが顕著に現れるのがep6以降である。ep6ではデイビッドのミスによってルーシーを危機的状況に晒し、チームリーダーであるメインも死んでしまう。

そのためにep7以降のデイビッドはそのような弱さを埋めるためにも自分の身体にインプラントを多く取り入れ、メインの代わりとしてチームを引っ張っていくことになるのだが、この精神的弱さに対して肉体の強化でどうにかしようとするところがそもそもどうなのかと思ってしまう。

こんなことを言うとアレだけどすごくアメリカ的な男性性の強化につながっている気がする。女性に対する優位のために筋肉をつけるみたいなところが気持ち悪い。日本の場合はわかりやすく年齢の幼さ、精神年齢の低さで埋め合わせようとしているところもまた問題ではあるが。アイドル信仰とかね。

また、これ以降のエピソードではルーシーはサイバーパンクとしての戦線から離脱することになる。戦線から離脱することによってより一層主人公デイビッドとルーシーの差が開いていき、恋人としてルーシーがデイビッドの独断的行動を抑える母的な役割になっており、初期のまだ頼れるクールなキャラから女性として男性を支えるキャラクターに変わってしまってルーシーのルーシーらしさはほぼ消えた。

さらにep9ではルーシーは敵の部隊に捕まってしまい。ep10においてデイビッドは身を挺してルーシーを助ける流れにつながっていくのだが、「君だけは守りたいんだ」とデイビッドが述べるとおり結局は 男性/女性 守る/守られる の関係に帰結しており。これもまた時代錯誤だと思ってしまった。

いつまでシンデレラやってんだと言う話である。

そうしてデイビッドはルーシーを助ける代わりにサイバーパンクの伝説として名を残し死んでしまうわけだが、その後のルーシーが兼ねてからの夢であった月旅行を叶えているシーンが挟まれる。

その時にルーシーはデイビッドの面影を一瞬見て終わりになるのだが、これを感動チックにしているのも分かるし、月というSFな場所でラストを締めくくるのも表現としては分からなくもないのだが

構造としては男性を失った未亡人の女性が遠い地で彼のことを思い出す。という何千回も見た物語と同じでありただただチープな終わり方だなと思ってしまった。また、残された女性がいまだに亡くなった男性のことを覚えていてほしいという男性の一方的な欲望を描写しているように見えるのも気のせいだろうか。

つまるところ、この「サイバーパンク エッジランナーズ」は最初から最後まで男性の独りよがりのロマンを描いた物語であったことがわかる。デイビッドにとってルーシーはただの女性の記号であって、それは制作スタッフもまた同様なのだ。

いくらアニメとしての表現が優れていても、内容が古臭いとここまで駄作になるのだなと知れるいいアニメだと最後に述べておきたい。

レベッカはとにかくカッコよかったんだけどな〜。あとフランツ・フェルディナンドのオープニングはずるいよな。かっこいいもん。


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