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正欲 [朝井リョウ]

2024年限時点で最高によかった小説です。

この小説の何がすごいかって、多分、この内容を理解できる人たちにとって、言いようのない「私はこの人たちとは違う」みたいな優越感を得られるという点です。

単純にシンプルに考えると、この小説は、マイノリティの中でも更にマイノリティで、多様性の社会でも生きづらい人たちが社会と隔絶した日々を送る物語です。「多様性」という言葉の持つ不愉快さが表現されています。そこに対して、様々な状況から自分自身を見失っていく啓喜だったり、相手を考えずに繋がりを持とうとする八重子、分かりやすくマイノリティを拒絶する田吉。私たちは思うところあっても、彼らのように拒絶したり、ずかずかと他人の心に入っていくような、そんながさつな人間じゃない。

そう思わせてくれる、感じさせてくれる、癒やしの小説です。

これを読んでだいたいの人が、そういった心の味方を得られると思うんです。で、それで十分なんです。

わたしがこれを読んで何がよかったかって言うのは、そんなマイノリティとかどうでも良くて物事の本質が描かれている点です。

八重子が繋がりを追い求めすぎて本質からずれていくんですが、最後の大也との言い争いで一つだけ大也と分かち合えることがあったんです。話し合ってみればいいんだということ。

ここに出てくる夏月、佳道、大也、この三人は人生におけるどこかで「自分は他人と違う」と気がついてふさぎ込んだことから物語は始まっています。そんな彼らが仕事として選んだ、選ぼうとしていることの理由は、物欲、睡眠欲、食欲は「裏切らないから」です。他人とちがう性的欲求を持つ私たちでも、他の欲求は人を裏切らないと考えています。

でもそんな事はありません。食欲に裏切られて窃盗を働く女性、Z世代(Y世代)は物欲のない世代だと小説の中でも示唆されています。睡眠に関しては記載はありませんが、少なくとも裏切らないわけじゃないです。彼ら自身も自分とは異なる世界は正しい世界しかないという認識があるんです。彼ら自身も視野狭さくしていて滑稽なんです。

しかし彼らは繋がりを得ます。話し合えたから。

特に佳道と夏月です。それはもう一般的な繋がりとしての結婚でもないのかもしれません。でも二人とも話し合い、ずっと一緒に暮らすことによって気づくわけです。一人で生きることのできる世界がもう見えないと。そこからの「いなくならないから」です。佳道が捕まった後も、お互いに「いなくならないから」と言いあえるその関係が愛でなければ、一体なんなのでしょう。これこそが愛の本質であって、この二人はたまたま「普通の」恋を経由せずに、愛へたどり着いた1つの形だったと感じました。こんなに美しい愛はないと思うんです。だってそこまで信じあえるわけですから。

話し合えればいいわけじゃないんです。啓喜の家庭は話しあっていました。でもうまくいきませんでした。通じ合っていないから。話が通じあえるもの同士が手を取りあって生きていく世界でなければならないということ。だから、たとえマジョリティに存在していて、数少ない存在をバグだと決めつけて断絶する人たちが拒絶される世界。認めあわず、通じ合わないことで、話が合わなかったからです。

大也は、たぶん初めて声を荒らげて伝えたんだと思うんです、八重子に。お互いに何かに気がついて、最後に大也は素直にうなずくんです。理解しあえないかもしれないけれど、それはきちんと話しあうべきだと気がついたのかもしれません。

人と人とが繋がりを得て、信じあえ、少しでも幸せな自分たちの世界を持つことができる、そのために必要なことが対話であると、そう感じ取りました。良いじゃないですか、この世界観と、結局愛の世界みたいな感覚。いびつだと思わせておきながら、わたしは佳道と夏月の関係性が羨ましいと感じる程度には、素晴らしい愛の物語でした。

とはいえ、この小説で一番最高に素敵だったのは「藤原悟」です。

この小説の主人公は「藤原悟」です。全ての話の根幹にいます。藤原悟をもって「そんな人間がいるはずがない、バグだ」と正しい世界観がそこに存在することを示唆する啓喜。藤原悟の名前を中心に集まる三人(+一人)。彼がいなければこの世界は存在しなかったんです。彼の影響力はとてもでかい。最初から最後まで、ずっと彼によってこの世界は動かされています。分かりあえる人もおらず、でも彼は生きてるんです。生き続けているんです。

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