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vol.1:リベラルアーツとは? ~Vodka's input journal~
このJournalの狙い
調べること、学ぶこと、学びを記録すること、それをわかりやすくまとめること、わかったことを人に説明すること、人がそれを理解する手伝い(≒エンパワーメント)をすること、わかった喜びを他人と共有することが好きなので、学んだことをオムニバス形式で記録しつつ、気が向いたらシェアしていく。この活動を通じて幅広いジャンル(特に自分が苦手で手を出してこなかった領域)を学んでいこう、というのもある。
以下、学びとか考えてることとか
リベラルアーツは、「実用的な目的から離れた純粋な教養」というニュアンス。偉い人が言ってるからとか、欧米の先端的の教育機関では当たり前に学ばれているからとかいってもてはやされているが、実用的知識大好きな自分的には非常に遠回りに感じる領域
元来は、人間を束縛から解放するための知識。なぜ解放が必要かというと、自分たちを無意識に縛っている常識とか思い込みに縛られることなく、自由に生きるため。だから「リベラル」アーツ。この目的に鑑みて、リベラルアーツでは「自分たちを知ること」に主眼が置かれている
要は、「人は学べば自由になれる」。縛りから解放されるだけでなく、それを主体的に活用できるようになる。とにかく、主権を自分自身に取り戻すことができる。
なぜリベラルアーツとして『論語』を学ぶのか?ある企業の幹部談
海外で戦うためには、まず自分自身を知らなければ戦えない。日本人の文化や常識の一つとなってきたのが『論語』や中国古典なので、自分自身を知るために学ぶ必要がある
上記の儒教系の教えは、江戸時代以来、日本人を無意識に縛る価値観となって、その常識を形作ってきた。仏教や神道なども同じ面を持つ。つまり、自分が何かを感じ取ったり判断する時のバイアスもここからきている。ゆえに、自らの文化や伝統が内包する価値観を理解することで自己理解を深め、主体的に生きられるようになる。
リベラルアーツ=(Vodkaが大好きな)メタ認知のためのツールということか。メタ認知ができれば、それを「続ける」か「やめる・変更する」かを選択できる。これまさに自由
自分たちを理解するためには異文化理解も重要。なぜなら、あるものの構造は、他の構造との対比によって初めて意味がわかるものだから。比較によってでしか自分の立ち位置はわからない
立ち位置を相対化するには、自分の「外部」に道を開き、情報をインプットするしかない。これすなわち教養。
今までのやり方が通用しなくなった現状に早く気づくため、自らの強みや機会を見出すためには外部のベンチマーク、すなわち教養が必要。内部の価値観にズブズブになっている人には、これは難しい
正しさには、教養が必要
Input journal第1回に相応しいテーマだと思いました。今日はここまで
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