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脳内の見える化 Vol.20

構想を絵や形にする力がない

何が起きている?

構想を絵や形にする力がない。ないから以下のような流れが生まれ、「描いた絵、0件」みたいなダメ画家になっている。


・構想を絵にすることが憂鬱になって後回しにする
・着手しても一向に進まずイライラする
・進まないので時間切れになって残タスクになって焦げ付く
・焦げ付いているからより着手したくなくなる
・他人の描いた絵を見て「よくまとまってるなぁ〜俺には思いつかないよ」とうなだれる
・どうにかしょぼい絵を作り上げ、イマイチな反応を受領してそのまま闇に葬られていく

どうすれば改善するのかが全くわからないけど解決策を考えた

こればっかりは解決策が見つからない。考えても答えが見つからないパターン。絵にするトレーニングが足りない?そんなトレーニング積んでるやつなんているんだろうか。なんとなく今考えている解決策は以下の通り。
①たくさんのピッチ資料や戦略資料を眺め、よく纏まっているものを溜めておく
②見様見真似で作ってみて、そのフォーマットを保存しておく
③PPTとGoogleスライドのテンプレ以外のツールを活用する

あとは以下のnoteが参考になりそう。

自分はこれくらい差し迫った勢いでプレゼンできていたか?
①My Story なぜ自分がそれをやりたいのか?
②Our Story なぜ我々がそれをやらなくてはいけないのか?
③Now Story なぜそれを今やるべきなのか?

決済時のイライラの話

自分は何にイライラしているのか?

決済の時にApple Watchが作動せずイラッとし、意地でもApple Watchで払わんとして店員を5分くらい待たせた挙句、作動せずにPASMOで払った、という出来事があった。叫びたくなるくらいイライラしたが、「なぜ自分は今イライラしているのか?」と問うことでイライラは収まった。そしてこんな結論に至った。

「Vodkaは常にカッコよくてスマートな自分でありたいから、それが疎外更た時にイライラする」

思えば機械に弄ばれてる時とか、何かを注意されたりとか、人からそっけない態度を取られたりするとイライラしてしまう。勝ち負け思考にもつながっているが、「自分が勝っている(=カッコ良くてスマート)状態」でないと許せないので、部屋が汚かったり、本を買っても全然読まなかったり、自分がやると決めたことを一向にやれていないことに気づいた時(普段は気にならないけど、たまたま何かのタイミングで気づいた時)に理想と現実のギャップにイライラしたり焦ったりする。そういえば最近読んだ本にも「期待している分イライラしてしまい、でもイライラを相手にぶつけたところで、その行為が成長につながるわけではない」などと書いてあって共感した。

この気持ちへの向き合い方はなんだろう。もう一人の自分を登場させ「そんなちっちゃいことでイライラする方がカッコ悪いよ」と言う方法が一つ。あと似ているけど「不機嫌をアピールすることで周囲をコントロールするって赤ちゃんの手口だから幼さや未熟さを感じさせることになるよ」と、人への迷惑に働きかけるのも自制心を煽る有効な方法かも。

ご機嫌の服を着ることは社会人のマナー

と考えていると、6年前くらいにいた部署の部長が言っていたこの言葉を思い出した。そもそもマナーだった。調べていたらこんな記事も出てきたし、自分の目的である「Vodkaと一緒に働きたいとみんなに思わせること」「Vodkaという存在に心酔してもらえる強さ、面白さ、カッコよさを身に付けた人間になること」に照らすと、ご機嫌であることは必須事項のようにも思えてきた。そういえば上司に「お前は顔に出る」と言われたことがあった。不機嫌が許される状況に甘えて不機嫌を盾に自分の意見を通していた気がする。それはマウンティングを通り越して単なる赤ちゃんプレイかもしれない。

それに不機嫌な人は、どんなに仕事ができたとしても、幼稚に見えてしまいます。嫌なことをすぐに顔に出したり、少しのことで騒いだり、人のミスを非難したりする姿は、精神的な学習をしてこなかったのかとさえ思われるでしょう。「愛されたい」との思いで不機嫌な態度をとっていても、不機嫌な人は愛されず、信頼もされないのです。

なぜか機嫌がいい人がしている「なるほど」な工夫(有川 真由美 : 作家)

あと、この記事でもう一つ学びになったのは「やるときはやる人」でいいという点。何でもかんでも期待に応えようとすると疲れるし、人にいいように使われているみたいでイライラがたまる。これを回避するために断ったり「こういう優先順位でやりますので」と言うことも大事だったりする。

今日はここまで!

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