親になって聴くHERO / Mr.Children の切なさ【しーなの見解】
まえがき
学生の頃からバンドを始め、趣味として細切れに音楽を続けていたものの、自分もメンバーも家庭を持ち、子どももいたりして、なかなか好き勝手音楽について語る機会が減って、モヤモヤした日々を過ごしています。
なので、noteをそのような場として使っていきたいな、と思いました。
親になって聴くHERO / Mr.Children の切なさ【しーなの見解】
Mr.Childrenは、元々親が好きで、中学生で有名曲だけは認知して、高校生のときにちゃんとアルバムを聴き始めて、その後大学生で本格的にハマって、ハマり続けて10年以上経ちました。
中学の時に『掌/くるみ』のシングルが出て、「イノセントワールドとかは知ってたけど、こんなに全然違う雰囲気の曲を歌うバンドなんだなぁ」と思った世代です。
Mr.Childrenの有名曲といえばいろいろありますが、『HERO』もその中のひとつ。
で、これが「子を持つ親目線」で書かれた曲だということも、Wikipediaなんかでも知ることができます。
学生の頃から同曲を愛聴し続けた私も、今や二児の父親になったので、ここに来て自分なりの解釈を綴りたいと思いました。
HEROの基本的な情報(いまさらながら)
言わずもがなな名曲。
Mr.Childrenらしいロックバラードですね。
1〜2番のサビは裏声なのに対し、大サビで地声なのも「大サビ!」感があり、聴いているほうも胸ぐらを掴まれたような苦しさを味わえます。
歌詞は先述のとおり、親目線で書かれています。
サビは4536のコード進行で、いわゆる王道進行。ミスチルは初期から中期にかけて、あんまり王道進行が使われているイメージがないので、意外と言えば意外です。後に発表されるHANABIは4536ですね。あとhimawari。
(ミスチルのどこまでが初期で中期なのか、活動が長くてわかんなくなってますw)
4536進行についは、下記のYOASOBIの記事でも話しています。(読んでくれる方が増えており、とても嬉しいです!😌)
そんな名曲について、リスナー、そして親目線で書いていきますね。
1番 ~ちっぽけな主人公の真意とは~
ここまででは、「俺なんてそんなちっぽけなやつだからさ」と、投げやりな主人公といった印象を受けます。
また、
「だれか ひ(i )とり(oi )のい(oi )のち(oi)と」
「ひきかえ(kae)に せかい(kai)を すくえ(kue)るとして」
母音と子音の並びもリズミカルで、聴き心地抜群です。
個人的な想像ですが、桜井さんは無意識にやってるんじゃないかなぁ。
ここで、「あれ?」となります。
冒頭の内容からすると、「投げやりな主人公」だったのが、実は「臆病者」であることがわかります。しかもその理由は愛すべき人たち。
つまり、愛すべき人(一人は子ども)の存在があるおかげで、その人を残して死ぬわけにはいかない、
という勇ましい感じよりは、その人との時間を生きていたいから、誰かが名乗り出てくれるのなら自分は死にたくないくらいのほうがしっくりきます。
身振り手振りを真似たヒーローにはなれないけれど、君=子どもにとってのヒーローになりたい。曲の真意がここで明かされるわけですね。
背景を知っている前提、つまり結果論ではありますが、「小さい頃」の対比で「君にとってのヒーロー」となってることから、恋人同士の話ではなく、親子であることがここでも伺えます。
2番 ~希望と、きっとかなわぬ願い~
10代や学生の頃、または、身近な人の死を経験していない頃って、「死」や「暴力的な表現」に対して、そこまで抵抗感がない人が多いのではないでしょうか。
中学〜高校生男子が、平気で酷い言葉を遊びで使ったりするのもそのことからですね。
反対に、子を持つ親からすると、無闇に暴力的なものや酷いニュースなど、できれば目を遠ざけてあげたい気持ちになります。
このフレーズで厨二心をくすぐられるか、
そうだなぁ、と納得するかで、聴き手の状況がわかる気がします。
これはそのまま捉えていい気がします。我が子の存在が、自分の中の不純物を溶かしていく。
「消し去る」とか「無くす」ではなく、「溶かす」という言葉を使うことで、じんわり温かくなっていく感じが素敵ですよね。
どんどん切ない方向へ向かっていきます。
ここでのポイントは、1番の終わりが「差し伸べるよ」という、ある種断定的な、確固たる思いのような表現であるのに対し、「僕は居たい」という願望的な表現になっていることだと、私は考えています。
人生について綴っているので、「苦味」「渋味」は、長い人生のなかの様々なイベントや出来事のこと。
であるならば、
「最後のデザート」は、「「良い人生だったなぁ」と感じられる最期の刻」と捉えることができます。
そうなると、僕=親は当然、順番的には君=子どものそれを見届けることができません。
なので、「僕は居たい(けど、それはできないんだよね。)」と、あくまで叶わぬ夢、願望にとどまっているのではないでしょうか。
Cメロ(Bメロの変化版)~残酷な現実こそ愛しい~
ここはこのままですかね。老いや悲しい別れ=残酷に過ぎる、ということでしょうか。
繰り返されてきたこと = 僕がこれまで歩んできたから、君がいる
繰り返していくこと = そして君には未来があって、僕のように(もしかしたら子どもができる)
その二つが愛おしい現実なんですね。
大サビ~ふたたび現実で、君への思いを~
ここで地声の大サビ。冒頭にも書いたように、胸ぐらを掴まれているような苦しささえも覚えます。
また、この大サビ最初の「君にとっての」あたりでギターが「ギュオーン」というか、「グォォォン」というか、なんとも言えないドラマチックな音を出していて、どうやって弾いているのか気になっています。グリスかスライドを組み合わせているのだと想像しているのですが、それにしても再現が想像できない音です。
スコアが無いので、知っている人教えてください。
ギターの田原さんはたびたび「皇帝」と称されますが、田原皇帝を皇帝たらしめるフレーズや音作りって、『HERO』が入っているアルバム『シフクノオト』、または前作の『IT'S A WONDERFUL WORLD』あたりから目立ってきたと個人的には思っています。
ちっとも謎めいてないし今更もう秘密はない からの「でも」ヒーローになりたい
であるように、「すべて曝け出してしまえば、自分は大した人間じゃない。けど、だけど君にとってはヒーローでいたい」という、強い親心が現れています。
(ぶっちゃけ、ここは桜井さんの過去のスキャンダルと重ねるとしっくりきちゃいますが。。)
「多かれ少なかれ、人はよくない部分や過去があったりして不完全ではない、だけど、誰かにとってのヒーローにはなれるよ」という、守るべき人がいる人に向けてのエールと取ることもできます。
2番の願望から、また現在=現実に戻ってきたかのように、「差し伸べるよ」と改めて君への確固たる思いで幕を閉じます。
まとめ 『HERO』は上から歌詞をなぞって聴くことで、より深く味わえるフルコースのような名曲
タイトルの通りです。笑
自分が親になって、息子や娘と過ごす中で、たびたびこの曲を思い浮かべます。
また、若いころには思いもよらなかった楽しさや癒しを子どもたちからもらえること、この曲に共感できるという現実に、ただただ感謝しております。
しーな
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