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子供のころの後遺症


子供のころ私はどんな子供だった?と母に聞くといつも覚えていないなとかあまり手がかからなかったかなと返される。私はきちんと育ててもらったはずなのに、母なる存在への安心感を感じない。もっと言えば、家族に対しての愛おしいという気持ちが持てない。

母は私が何かに転ぶ前に障害物を取り除いてくれていたと言おうかと思ったが、どんな障害物があるか怖さを教えて意思を奪うような人だった。
いつだって欲しい言葉はもらえなかった。自分が叶えられなかった夢を私に押し付けてピアノを習わせた。自分が習っていたからといって習字も習わせた。一度も褒めてもらえなかった。周りの人には字が綺麗だねと言われても母から字を褒めてもらえることはなかった。

いつも怒られないように顔色を伺って、本当に欲しいものは手に入れられなくて。いつの間にか意思も考え方も萎縮してしまった。子供って無条件に母親のことが好きで認めて欲しいと思うから、それを与えてもらえないことは子供の生きる使命がなくなるくらいの一大事。母の言葉にはなんとなく温度がなくて、大丈夫って何回も言ってもらえても大丈夫になれなくなった。大切な人の言葉すら効かなくなる程の辛い経験はもうしたくない。 


父は自分の容姿や性格に若い頃悩んでいたとよく私に言った。私は小さい頃お父さんに似ているねと言われるのが大嫌いだった。今はあまり言われなくなったけれど。母方の祖父からは、お前はこっちの家系の顔じゃないもんなってはっきりと言われたこともある。私だって好きで父や似て生まれてきたわけではないし、両親を選んで生まれてきたわけじゃない。

何に幻滅しているのかと言えば、自分自身も生きづらさを感じてきたはずなのに、同じ思いを子供がするかもしれないということを一切考えていなかったこと。そして、私が壁にぶち当たった時にその場しのぎの言葉で助けてくれなかったこと。本当にピンチの時ってその人の本性が現れるっていうけれど、子供より世間体の方を大事にしていることを初めて知った。素直に悲しかった。人間ってやっぱりちゃんと孤独なんだと知った。

私は自分に子供ができてもきちんと愛せる自信がない。だから当たり前のように結婚や子育ての話が出来る人が羨ましい。どうしたらそんな純粋な気持ちを持てるのだろうって。私ももう何年かしたら結婚しないの?とか子供欲しいでしょ?とか当たり前のように言われるんだろうな。私のことなんて何にも知らないくせに。
だれかにとっては当たり前のことが誰かにとっては当たり前なんかじゃなくて、それがたまに私を苦しめるし傷つける。


この歳になって子供のころのことを回顧しても何もならないよって思える人は心が健全なんだと思う。今の自分になった原因を探して振り返ったところで傷つくだけだし何も生まれない。ただそこに向き合わなければ私の人生が始まらない。欲しかった言葉や愛情を欲しい時にもらい損ねた後遺症は大人になってもずっと付き纏うんだよ。切ないけれど事実。

誰も何も間違っていないはずなのに、わたしの受け取り方の問題もあっただろうし、両親も親1年目だったから分からないことだらけだったと思う。けれど、そんなことを子供のわたしが本当は推し測る必要が本当はないことも知っている。子供は親の所有物でも人形でも承認欲求を埋めるための存在ではないのだから。親以上に子供が大人になってしまうんだよ、気づいてよ。

ずっとこんな大人になりたくないと思いながら、自分の中に両親に似ている影を見つけては潰すように感情を抑えながら私は違うと言い聞かせて努力してきた。努力する理由が誰かのようになりたくないだったり誰かに認められたいだといつか崩壊してしまうし、すり減っちゃうんだよ。

自分の一番近くにいる大人が将来や社会や生き方に前向きで子供に対して希望を見いだせるような存在だったらどんなに良かっただろう。
また、私のたら・れば話が始まってしまう。
母のためでも父のためにでもなく、私は私のために人生を生きる。そうやって言葉にしなければ忘れてしまうくらい脆いから。
いつもどこか埋まらない気持ちと自分自身に罪悪感や生きづらさを抱えながら、もういい大人なので必死に平静を装って日々を過ごしている。
誰が教えてくれるのこういうことって。
ちゃんと教えて気づかせてよ、大人が。
ずっと謝って欲しいんだと心の中で思っている自分がいる。

ありのままの私を幼少期にきちんと愛して欲しかった。
こんなこと子供に言わせないで。



辛くなるけど読む価値あるよ。







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