12歳の時の小さな傷はどうでもいいのだろか?

「ほんまにあいつの妹か?」

馬鹿にするようにそんな言葉を浴びせられた12歳の私。
人に対して不信感を持つようになったのはこの頃からだった。

私には2つ年上の姉がいる。
姉は真面目で優しくて、何より勉強ができる。大学はもちろん国公立で、大学院も博士号を取得し卒業している。

姉は、小学生の頃から勉強が好きで、テスト前でもないのに学校から帰ってきたらご飯の時間までずっと勉強をしていた。
友達と遊びに行っているのを見たこともあまり無い。私とは対照的だった。

小学生の頃は、そんな姉と比べられることなど無かった。成績の順位が出るわけでも無ければ、共通の先生に教えてもらうことも無い。
『6年1組の〇〇さんの妹』
ただそれだけだった。
私はそれだけで良かった。

しかし、私が中学生に上がってそれが変わってしまう。

私が中学生になったとき、姉は中学3年生。
田舎の学校なので、クラスは3クラスしかなく、教科ごとの先生は1年生から3年生まで同じ先生が担当している。

私は
「友達と馴染めるのか」
「部活動は何にしようか」
「いじめられたりしないだろうか」
そんなことばかりを気にし、勉強のことは特に気にもしていなかった。確かに勉強は苦手だが、成績は良くも悪くもなく、どちらかと言えば良い方かなというレベルで「ついていければそれでいい」くらいの気持ちだった。

入学して私が楽しみだったことは部活動。私の小学校は部活動が無かったため、初めての部活動に胸が高鳴っていた。
児童数が多く無い学校だったので、部活動の数も少なく、人気の野球部ですら廃部寸前、サッカー部は存在していなかった。
結局私は友達に誘われて吹奏楽部に入ることにした。音楽が好きで、ピアノを習っていたこともあったため何の迷いもなく入部した。姉も吹奏楽部に所属していた。
そこでも、『〇〇さんの妹』として過ごすものだと思っていた。

だが現実は違っていた。

部活動も決まって、ようやく本格的に中学生活がスタートした。その頃には新しい友達とグループで遊ぶようにもなり、勉強も何となくついていけていた。

そこで初めてやってきたテスト。
中学校のテストは、学年で順位が出るものだった。そんなことは姉から聞いていたので知っていたが、実際自分の学力がこの中で何位なのか知らされるとなると、少しドキドキしたのを覚えている。

テスト前にはそれなりに勉強して、いざ本番。
出来はまずまずと言ったところだった。

数日後、待ちに待った順位表の配布。
学年で110人程いたが20位くらいのところにいたのを覚えている。
「勉強が全てではない」という考えだった為、順位なんて、、、と思ってはいたが、こうして自分のレベルが表に出されることが初めてだったので、順位を見て少しホッとしたのは事実だ。

テストが終わってからしばらく経ったある日、友達からこんなことを聞いた。
「さっき職員室行ってきてんけど、多分S.のこと話してたでー『姉はすごく頭いいのにね』『妹はそうでもないねんなー笑』とか先生たちが話してたで。」

ショックだった。
自分では頑張ったつもりで、順位も言われるほど悪くはなかったと思っている。それなのに「頭のいい姉」がいるだけで比べられる。テストで1位以外になったことがない姉がいるだけで、20位だろうがそれ以内に入ろうが、劣等生のレッテルを貼られてしまう。それならやってやるぜ!という反骨精神が生まれるタイプでは無かったので、どう頑張ったって私は中学3年間ずっと比べられて生きないといけないのかと、嫌気がさした。

それを知ってから、どの先生に対しても不信感を持つようになり笑顔で話しかけられても、「どうせ心の中では頭悪いと思ってるんでしょ」と疑心暗鬼に陥った。先生からの視線もどこか、見下すように、嘲笑うように、見られていると感じていた。

そして、直接私の目の前で言葉にされたのは突然だった。

中学1年生の頃、部活動時間に楽器ごとの練習で、顧問の先生と個室でマンツーマンで音合わせをした時のこと。
音が合わなくて先生に指導されていたが直らず、感情的になった先生が一言。

「お前、ほんまにあいつの妹か!?」

ついに直接言われてしまった。
私は「すみません」と蚊の鳴くような声で返す以外、何も言えなかった。
そのあと部屋を出てからも、ずっとその言葉が頭の中を支配した。

そんなに頭が良いことが偉いのか、
なぜそんなに順位にこだわるのか、
妹だからって同じ頭じゃないのに、
だんだんと悔しい気持ちから苛立ちに変わっていった。

気持ちのやり場がなく、親にも友達にもぶつけることはできず、私は勉強に手をつけなくなった。
自発的に勉強をしなくなった。いくら頑張っても私には1位を取る頭は備わっていない。1位以外だとどうせまた同じことの繰り返しだ。そう思うとやらなくてもいいような気がした。

「私は不出来なんだ」

大袈裟に言い過ぎかもしれない。あるいは、私の心が単に弱いだけ、甘いだけなのかもしれない。
そんなことを気にしない心があれば、今は違っていたかもしれない。
でも、十人十色という言葉があるように、いくら血が繋がっていても違うものは違う、心が強い人もいれば脆く繊細な人もいる。無理に強がっても、いずれ壊れて余計に深い傷を負う。

私はあの時の先生の一言で、人間不信になり、自分に自信が持てなくなり、どうせ私なんてと思うような人間になってしまった。

私の心が弱いから?そうかもしれない。
でも[先生]の立場で、あの言葉は言ってはいけない一言だったのではないだろうか。
学校という敷地の中で、誰かと比べて何かいいことはあるのだろか?

先生からすると何気ない一言だったのかもしれないが、私には、今でも思い出すくらいの嫌な思い出となっている。

虐待や、ひどいいじめ、暴力を振るわれたなどの大きな被害には遭ったことはない。いじめられてはいたが、ひどいとまではいかないのかと思う。
映画やエッセイ本などを見ていると、そういうことを経験した人を元にしていたりするが、じゃあ私のように小さな被害は被害ではないというのか、何ともない出来事なのか、と疑問に思う。

人は、虐待や暴力など、「見ていて可哀想」「心が痛む」ような経験に胸を動かされたりするが、実際のところそのような経験をしている人より、私のように小さな擦り傷を心に負っている人が多いのではないかと思う。映画や本にするほどではないのかもしれないし、みんながみんな被害者意識を持っている訳でもないと思うが、その擦り傷にももっと目を向けてもいいのではないかと。軽傷だと思っていた擦り傷でも、同じように傷つけ続けると傷跡は消えなくなる。
体についた傷で、「これいつについた傷だっけ?」と、思い出せないものもある。それと同じで、小さいことで気にしていないと思っていても、人に言うまでではないと思っていても、当人にとっては消えない傷だったりする。

無意識のうちに、無自覚のうちに、誰かにそんな傷を残してしまっているかもしれない。私も誰かを傷つけているかもしれない。

そんなことを常に気にしていたら、人と会話をすることがしんどくなる。だからと言って、思ったままに発言をすることは、誰かからの悪者になり兼ねない。もう少し心の余裕と、人と平等に接する心が生まれる世の中になってほしいと、私は願いながら、また4月から頑張ろうと思う。

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