見出し画像

はな

自分の部屋に引きこもることが
多くなったので
勉強机やベッドを心地の良い場所へ配置し
引き出しの中は必要なものだけを残し
(いわゆる断捨離)

めちゃくちゃすっきりさせた。  

植物は枯らしてしまうので
ここ最近ずっと避けていたけど
部屋にいる時間も多いし

わたしのくすんだ心を
癒してくれるだろうという
歪んだ期待に身を任せ
すぐにお花屋さんへ向かった。  

黄色のマーガレットを1本と
かすみ草を少々。

この黄色、わたしにはちょっと
眩しすぎるんじゃないかと躊躇ったけど
お花屋さんの店主が
ちょっと塩っけの強い無愛想な男の人だったので
お花の冷蔵庫の前で熟考することができず、渋々購入した。  

昔、お醤油入れとして使用していた、ガラスの瓶に水を張り、長さを整える。
うん。いい感じ。    

今まで
散々枯らしてしまっていたわたしにしては
きちんとこまめに水を変え
太陽の光を浴びせたり
(日光大丈夫なのか?)

小声で話しかけてみたり
(柄ではないので恥ずかしかった)

それなりに可愛がることができたと思う。
思っていた以上にずっと咲き続けてくれてたし。    

で、むずかしいなーって思ったことがひとつある。
飾るのをやめる、つまりお花を供養するタイミングって、お花がどんな状態になった時なのか?  

最初の1週間くらいは
ほぼほぼ変わらない容姿でいた。

だけど、1週間が過ぎたころ
水を変えるときに
花びらが弱っていて折れてしまったのだ。
折れた花びら以外はまだ元気そうだったので、ちょっと気にかけながらも
まだいける。という気持ちでいた。    

そこから2日ぐらい経ったある朝。
首元がしんなりと曲がり、下を向いていた。
うわあ、そろそろかぁ。と思ったが、人によってはこの時点でさよならする場合もあるのではないかとも思った。  

最初の姿と比べると、まるで別人で
まったく映えてはいない。
だけどわたし的には、完全にシワシワになって枯れるまで、なんとなく見届ける義務みたいなものを感じていたので、もう少し様子を伺うことにした。    

次の日。
枯れるに至る前に、花びらと花粉と綿毛(?)の重さに耐えきれず、それらが抜け落ちていた。  

あーーついに。
なんというかちょっと寂しいけどホッとした。
ひとつの役割を終えたような気がして。
もう水を変える必要はないし
日光を浴びせる手間もかからない。

なにより、この姿にまでなったら、もう供養しても大丈夫だろうという確信が持てたからだ。    

わたしは昔からせっかちで
飽き性な一面がある。

だから、最後までやり尽くすのが苦手だ。
歌を聴いていてもイントロはだいたい飛ばしたくなるし
消しゴムは最後まで使いきれない。
ひとつの文章を読んでいたら次のセクションが気になって今読んでいるところを読み切らないまま次へ読みうつってしまうし、
オーブンで何か焼いてるのを待つ間は、何度も開け閉めしてしまう。  

だから今回買ったお花も
最後まで見とどけることができずに飽きてしまうんじゃないか、と、なんとなく思っていた。  

飽き性は飽き性なりに神経使って、苦労してるし、ビビりながら生きてる。  

部屋にお花を飾って、そんなことを思った。

かすみ草はまだまだ元気だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?