カイコカイノコウカイ


 ※タイトルの通り、今回は虫に関する話題が多分に含まれますので、ご了承のうえ、お進みください。



 2022年8月10日のこと。

 私はシーツを干そうとしていた。その前に柵を軽く水拭きするべく、ベランダへ出た。肌に残る灼熱感。照りつける太陽が夏の盛りを主張している。ざっと見たところ、鳥のフン以外に目立った汚れはなさそうだ。安心した私は柵を拭き始めた。

 しかし、ふと足元に目を遣ると、セミが転がっているではないか。いわゆる『セミファイナル』を警戒し、少し身構える。

 しばらく観察を続け、すでにその命が果てていることを確認した。済ファイナル。オーケー、なにも問題はない。

 それと同時に、私は約一年前の出来事を思い出していた。

 自室のカーペットの上でもがいていた一匹の蛾を、ちょうどそのベランダから外の世界へ放したときのことを。

 普段の私であれば何の感慨もなく潰して捨てていたその蛾をわざわざ逃がしてやったのは、『飛びたい』という強い意志を感じ取ったからだった。

 それだけではない。

 きっと、昔の事を思い出していたせいもある。



 回想に次ぐ回想になってしまい、誠に申し訳ないが、お付き合いくださればとても嬉しい。



 小3のとき、授業の一環としてカイコを飼育することになった。

 幼稚園児の頃、虫取りの日にズル休みをするほど大の虫ギライだった私は気乗りせず、かといって投げ出す気にもならず……しぶしぶといった具合でそのカイコと向き合うことに決めた(ような気がする)。

 飼育に向け、ホームセンターで購入してもらった虫かごは、典型的なソレよりも数段しゃれた代物で、蓋の部分が半透明の淡藤色になっていた。

 生徒たちには、それぞれカイコと一緒に桑の葉も配られたと記憶している。

 各家庭で用意された虫かごに流れ作業のように収められた命を、私はおっかなびっくり連れ帰ったのではなかっただろうか。

 いつもの山道を虫を連れて歩く日が来るなんて、当時の私は想像もしていなかったことだろう。よく頑張った。

 帰宅し、自室の窓辺に中身の入った虫かごを置くと、不思議な気持ちが湧いてきた。空っぽの虫かごでさえ、一生縁のないものだと思っていたのだから当然だ。

 最初はやはり、嫌で嫌で仕方なかった。

 母にも「代わりに面倒見ようか?」と心配された気がする。

(※先ほどから『気がする』、などといった曖昧な表現ばかりを選んでいるのは、それだけ不確かな情景を、それでも浮き上がらせようと試みているがゆえのことだ。なにぶん遅すぎる注意書きとなってしまったが、ご了承いただきたい。)

 私の心はというと、『カイコが中から出てくるんじゃないか』といった方向の恐怖ではなく、あくまで『私の部屋に、どういうわけか苦手なはずの虫がいる(しかも、私自ら運び入れたものだ)』という恐怖で埋め尽くされており、何をしていても落ち着かず、用もないのに横目でちらちらと様子を窺っていた。派手な移動も不審な挙動も見せず、めぼしい変化はなかったが。

 そんな、狭い空間をのそりと這っては桑の葉を食むカイコに対する感情に大きな変化が訪れたのは、はじめて彼(?)に触れたときだろう。(雌雄に関しても全く覚えていないが、一文字で済むので彼と呼ぶことにする。)

 どういう経緯で触ったかは覚えていないが、おおかた感触についての感想が必要になったか(※観察日記にはつきものだ)、もしくは食事させる段になって好奇心が首をもたげてしまったか……といったところだろう。面倒なことに、尽きることのない好奇心と些細なことでびくつく臆病さとが過分に配合された、厄介きわまりない人間なのだ。私は。

 おそるおそる、その、絵の具で塗られたような、少し灰色がかった白色のからだを触ったとき、全身に衝撃が駆け巡り、次に感動をおぼえた。

 なんとやわらかく、儚いものなのかと。『一寸の虫にも五分の魂』を指先から実感した瞬間である。

 だが、同時にずっしりとたしかな質量も感じさせるそのからだは、威容に満ちてさえいた。

 幼い私は、すぐにその独特な感触の虜になった。それまでの人生にあるようでなかった、不思議な具合のぷにぷにだったのだ。より正確には、『ぷにぷに』と『ぶにぶに』のはざまの、癖になる手触りだ。私はそう思った。濁点と半濁点の中間がないのが悔やまれる。

 それから彼が幼虫でいるあいだは、ぺたぺたと一方的に彼のからだの感触を楽しんだと思う。必要以上の接触は避けるよう心掛けていたが、彼にしてみれば、気味悪がられていたほうがよい生活を送れたのかもしれない。

 だが、そのときにはもう、彼を気持ちの悪い虫だと思う気持ちはすっかり消えていた。

 そればかりか、苦手だと強く意識していたイモムシ特有の這って進むための形状や、膨張しきったコルゲートパイプのごとき体節も、ところどころクリームイエローを帯びている体表だって……いつしか愛らしく、このうえなくいとおしいものにまでなっていた。

 こうして書き出すと、いかに自分がイモムシの仲間たち全般のビジュアルを苦手としていたかが明確にわかる。現在も得意になったとは言い難く、非常に申し訳ない限りだ。(とはいったものの、苦手なものは苦手だ。努力を重ねても克服できないものもある。仕方あるまい。)

 以前の私は、見た目が気持ち悪いというだけであらゆる虫を完全に拒絶しており、こうしてじっくり観察してみた経験も皆無で、まして触ってみようという発想に至るはずもなかった。

 カイコ全体の性質なのか個体差によるものかは定かではないが、彼のおだやかでのんびりしているところや食事風景などは、かごの中を覗いているだけの段階から比較的好ましく感じていた。

 とはいえ、自覚できるほどに愛着が湧き出したのは、そのからだに触れてみてのことだった。

 ……そう。頑なだった私をここまで変えたのは、カイコの幼虫の手触りである。

 しかし、彼はいつまでもその姿を保っていてはくれない。必ず成長する。

 そして、その日は訪れた。

 彼は丹念に、そして着実に編み上げた繭に籠った。陽光に透かしても影も見えない。そもそも、あまり動かすべきではないのだろう。

 知識として持っていただけの以前であれば、神秘的で美しいと大喜びしていたであろう繭玉も、かわいらしい彼を閉じ込める無機質な檻、ならびに、あのいたいけなからだを甚振り、すっかり作り変えてしまう拷問器具に映った。

 いま、中ではどのようなことが起きているのだろう?(※人間の身では経験できないことであるがゆえの、虫目線で体験する変態に対する興味)

 大丈夫だとは思うが、死んでしまってはいないだろうか。

 痛覚や快不快は生じるのか?

 生じていた場合、それをどの程度知覚しているのか?

 なにひとつわからない。無力だった。

 書物をあたれば、それらしい答えを得られたであろう疑問もある。だが、それは目の前のカイコに対する理解とはいえない。私はカイコという種類の虫にではなく、彼自身に興味があった。

 待つことしか許されない私は、引き続き繭を睨んで時を貪った。

 だんだん繭が棺桶に見えてきた頃、完全変態を終えた彼がついに姿を表した。……もうどこにも、ぷにぷにの面影は見当たらない。

 前評判では、成虫のほうが可愛いと聞いていた。

 だが、私は「全然そんなことない」、「前のほうがよかった」……そんな感想を抱いてしまったおぼえがある。

 彼は別に、私に気に入られたり愛でられたりするために生まれてきたわけではないのに、なんという身勝手か。横暴か。

 それでも、「違う」と思ってしまったのは確かだ。私は私自身の感覚にだけは決して嘘を吐くことはできない。違うといったら違うのだ。

 悲しかった。

 私の愛した、あのかわいいカイコの幼虫に会うことは、二度とかなわない。失われてしまったのだ、永遠に。

 しかし、姿形は好みから外れてしまっても(というか、最初は幼虫の見た目をこそ嫌っていたくせにムシがよすぎる話だが)、別個体にすり替わったわけではない。

 だって、かごの中には他になにもいなかった。あの子以外は。見慣れない蛾は、紛れもなく彼だ。

 そういうふうに、少しずつ少しずつ、現実を受け入れていったのではないかと推測する。

 はっきり覚えていることといえば、立派な成虫となった姿を受け入れるまでに時間を要したことと、その変貌ぶりに落胆さえおぼえながらも、相変わらず彼の姿を目で追うのをやめられなかったことだ。

 異物を眺めまわす。執念だったか、期待だったか。

 きっとそのときの私は、彼のことというよりも自分自身のことを嫌いになってしまっていた。

 どうして一番に喜べなかったのか。

 彼はやり遂げたのに。閉鎖された空間で、何日間も、一匹きりで。

 なるべき姿になった彼を、取るに足らない好悪をぶら下げた私が拒んでどうするんだ?

 その生物を眺め続ける。執念だった。期待だった。

 徐々に、幼虫の彼を受け入れたときのような急激な変化でなく、あくまでゆっくり、私の中に沈んでいたいとおしさが再び息を吹き返していった。

 飛べない翅を付けた彼を。

 私を待たせて、心配させた彼を。……こちらは言い掛かりというか、勝手に不安になっていたに過ぎないが。

 芯からじわじわと、その命と、そのかたちと向き合った。

 そうして、別れが迫った頃になって、未熟な私はようやく、「成虫もかわいい」と思えるようになっていた。それでも、好きなほうはと訊かれれば、迷わず幼虫と答えていただろう。

 その後の記憶については、輪をかけて朧気だ。

 カイコの寿命は短い。養蚕に使用される場合、繭になった時点でその生涯は幕を閉じる。中身が生きたまま茹でられるものがほとんどだからだ。

 だが、彼は孵った。成虫まで生かされた。

 彼の紡いだ繭については、後日、指人形にした記憶がある。もちろん私の意志ではない。案の定、微妙な仕上がりだった。

 ふんわり軽く、やさしい手触りのその繭を、小学生の子どもなんかの汚くて下手な絵で汚すより、本当は、作ったままの完璧に整えられた状態で保存したかった。

 薄情な私は、その指人形を早々にゴミ箱へ放り捨てたはずだ。だって、そんなものが残っていたって、なんの意味もないのだから。

 繭の顛末などどうでもいい。

 問題は彼だ。彼の結末だ。結局、私は最期まで見届けたのだったか。

 そうだったような気もするし、そうでなかった気もする。……が、先述の残された繭アートから考えるに、きっと彼は終わりを私の自室で迎えたのだろう。

 最期がどうあれ、彼が緩やかに死へ誘われていく様子は頭の片隅に残っている。

 成虫になると一切食事をとることのないカイコガは、ひっそり静かに衰弱し、元々少ない移動が何もなくなり、やがて死に至った。きっとそうだ。




 そんな、最期まで飛べなかった彼を、きっと私は思い出していた。自室に迷い込んだ蛾を見つけたときに。

 その迷い蛾は彼と違って、最初は自由に飛べただろう。私に発見される直前までは飛べていたはず。そうでなければ、この部屋に辿り着くのは不可能だ。

 この記事は蛾の迷い込んできた部屋であり、かつてはカイコを飼育していた自室で打ち込んでいる。

 私はというと、現在、サターンリターンと呼ばれる占星術における人生の節目の真っ只中にある。

 検索をかけると不穏な文言も少なからず立ち並ぶサターンリターンだが、過去と向き合って問題点を洗い出したり、忘れていた大切なものを掘り起こしたりしながら、人生の軌道を修正していく時期であり、新たな自分に生まれ変わる好機……と私は解釈している。

 ちなみにこのサターンリターンは、生きた年数によって経験回数に個人差が出てくる。一度も迎えないまま亡くなる人もいれば、三回経験する人もいる。

 幸運なことに、私もまずは一度目のサターンリターンを迎えることができた。

 予定通り書き上げることができれば、本日は2022年の9月5日。ちょうど29歳と半年になる。

 そう、私の誕生日は1993年3月5日。奇しくもその年の啓蟄にあたる。

 啓蟄についての説明は不要かと思うが、二十四節季のひとつで、冬眠していた虫が出てくる頃を指す。

 ここでなにか思い出すことはないだろうか。

 私は、私には、この記事に綴ったすべてが結び付いているように感じられた。

 この部屋はきっと繭のようなもので、この中で私は、大きな変化を遂げるべく過ごしている。

 他人からはへらへらと気楽に、それこそ冬眠中の虫のように、なにもせず息をしているだけに見えるかもしれないが(彼らが怠けていると言いたいのではない。春を迎えるための行動であることは重々理解している。)、どう思われようと構わない。

 興味の赴くまま片っ端から学んでみたり、それを咀嚼して落とし込んでは今度は表現し……楽とも苦とも寄り添って生きている。

 サターンリターンを乗り越えた私は、どんな自分に出会えるだろう。

 狭い虫かごの中の、これまた小さな繭から飛び出した彼を見たときのように、最初は面食らってしまうだろうか。

 彼と同じくらいかそれ以上、とにかく自分でも驚いてしまうくらい、成長できたらいいな。紆余曲折もあっていい、最終的には愛せたらいいな。

 違う。それでは手ぬるい。

 私は、もっともっと自分の好きな自分になるために、この期間を使い倒すのだ。

 明日も変わらず生きている保証などどこにもない。一度目のサターンリターンを生き延びることができるとは限らない。

 だから、変化の過程をも愛そう。

 醜くてもいい、望む姿でなくて当然だ。自分自身を好きな私が自分を嫌いになるということは、なにかが確実に変化している証拠だ。今度はその変化を、尊び、喜び、受け入れて祝福しよう。

 最後に辿り着くのが理想の姿であればいい。そこに辿り着くことができずとも、全力で追求し続けるなら、いつ果ててもきっと後悔はないから。


 




 











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?