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美しい水槽の記憶

学生時代、私は人文学部だった。

そこには、『言葉にせずともわかりあえるものが沢山ある、けれどそれを言葉で伝えようとする』ひとたちが沢山いた。

私にとって、とても居心地が良い場所だった。酸素濃度が適切な水槽を見つけた心地がした。
大海原では生きづらいかもしれない。けれど、美しいかたちをした水槽の中で生きるひとたちは皆それぞれの美しさを持っていて、私は大好きだった。

*

『文学なんてやってる人間は、皆死に場所を求めている』

ある時同期がふっと呟いた、その言葉が忘れられない。

同じ深淵を覗いている感覚。
私は勝手に、それを共有しているような気がしていた。
闇に進んで落ちていこうとするでもなく、敬遠するでもなく、ただ「おお深いねぇ」と笑い合えるくらいの関係性。
それが、とても心地よかった。

私たちは、人生がままならないことを悟っていた。
やってらんないねと笑い飛ばせる夜も、誰にも言えない苦しさに潰される夜も、死にたくてどうしようもなくなる夜もあることも知っていた。

*

私は人文学部の友達と、沢山のことを語り合った。
大学構内の広場で。カフェスペースの窓際で。雨の日の演習室で。居酒屋やバーの中で。

私に店飲みの楽しさを教えてくれたのも、人文学部のひとだった。教授がお酒好きだったこともあり、学生時代、私は大分お酒に詳しくなった。

教授の酔い方は、息を呑むほど上品だった。水のようにワインを飲み日本酒を飲み、詩を読むように文学や芸術の話をし、次第にひとりごとにフランス語が交じるようになり、風のように静かに帰る。
いつかの飲み会で、輪の中から私を呼び出して、小説の論評をしてくれた時は、あまりの幸福にこの場で死んでもいいと思った。思わず唱えるところだった。『時よ止まれ、お前は美しい』

人文学部のひとと飲むのはとても心地がよかった。皆好きなものがあり、好きな理由があり、それを語る言葉を持っていた。
だから私は皆の話を聴くのが好きだったし、自分のことも安心して話すことができた。

私は、好きな人たちと語り合いながらお酒を飲む時間が好きだった。お店を出たあと、ほろ酔いの目に映る夜が揺らいで、風が涼しくて、誰かが煙草を吸い始めて、誰かがコンビニでアイス買おうと言い出す、あの感じが大好きだった。

*

ここまで一気に書いて、我に返った。
トイレの中で泣き崩れてからの記憶が曖昧だった。

今日は心身の調子が悪く、助けてと言うことができず、やっとのことで親に電話をしたら過呼吸を起こした。トイレで泣き崩れ、絶望して声が出なくなるまで泣き続けていた。馬鹿らしい。
言葉でわかりあえない瞬間は、私にこんなにも致命傷を与える。

涙でびしょびしょの髪のままnoteを開いて、追想とも呼べる文章を書いていた。寒い。早くシャワーを浴びなきゃ。でも、言葉は純度が高いうちに。苦しみは苦しみの、かなしみはかなしみの純度が高いうちに。ものを書く人間の、意地。

息のしやすかった場所は、私の中にちゃんとある。
大海原に揉まれても割れることなく、綺麗な水槽として残っている。

失ったわけではない。

そして、その場所を見つけて、いることを選んだのも自分なのだから、きっとこれからも、息のしやすい場所は見つけられる。大丈夫。大丈夫。大丈夫。

怖くて仕方のない日、帰る場所なんてどこにもないよと言われたような気がする日は、そんなことないよと自分で自分に言い聞かせるしかない。

だから今日は、大切な思い出の力を借りました。
ありがとう。
愛すべき人文学部へ。

また、皆とお酒が飲みたいです。
それまで生きようね

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