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創作にはAIじゃなくて、愛が必要だよ

最近、AIの話題ばかりで、心が疲弊しきっていた。正直にいえば、半分、絶望していた。

どれだけいのちをかけてつくっても、簡単にAI学習に使われてしまう。感情や痛みを伴わない作品が、大量に生産されてしまう。そんな世界で、私は書き続けられるだろうか。書くことは、救いになりうるだろうか。

大切にしてきた救いが、踏みにじられた気がした。何をしていても、何を考えていても、動悸が止まらない日々が続いた。前向きになろうとすればするほど、前向きになれない。どうしたって、創作という営みの破壊に感じられてしまう。心身の体調を崩して、寝込んだ。AIだったらこんなことないんだろう、人間は不完全だ、と思った。

これからの時代、AIの存在を無視できないことは、わかっている。仕事でも生活でも、AIなしでは効率が悪い世界になってしまった。いい仕事をするために。より便利に暮らすために。AIをよいパートナーと捉えることが大事。AIを使いこなせる人こそが優秀。わかっている。そんなの、わかっている。


それでも、それでも、
自分のこころを救うのは、自分から生まれる表現でしかないんじゃないか。


私は、人間にしかつくれない音楽や文学や芸術に、ずっと救われてきた。作り手がいのちをかけてつくってくれる作品に、ずっと、心を生かされてきた。

生みの苦しみは、到底言葉にできない。血を吐くように、くるしんでくるしんで孤独の海を泳いで、そこからにじみでたひとつの光が、創作だ。その過程を、AIに簡単に取って代わられてたまるか。すぐ出力できたほうが偉い、すごい、と、言われてたまるか。

私は、自分の創作には、AIを使わないと決めている。小説、詩、短歌。自分のこころから生まれる表現には、AIを使わない。本当の感情と向き合うのに、ノイズになってしまうから。
AI学習に使われるのも、絶対に嫌だ。文章に込められた感情や記憶や温度は、絶対にコピーできない。されてたまるか。この痛みは私だけのものだ。


もちろん私たちは、誰かの影響なしでは生きられない。私もきっと無意識のうちに、誰かの作品に影響を受けている。
私は大学で、比較文学を研究した。文学も音楽も芸術も、影響を及ぼし合っていた。作家は「創作」という営みを通じて、時空も場所も超えてつながっていた。彼らに共通しているのは、創作に敬意があることだった。創作への愛があれば、他人の作品をまるっとぱくろうなんて思わない。AIに全部書いてもらおうなんて思わない。


世界を感じて、自分なりに咀嚼して、自分のなかで再構築する。自分を通してしか生まれない、表現をつくる。痛みを伴う、それでも、この時間のために生きていると感じる。そんな創作を、私は愛している。


機械が喋るようになった、機械が文章を書けるようになった。だから、なんだっていうんだ。人間は相変わらずさみしくてくるしくてどうしようもなくて、優しいひとから死んでしまうじゃないか。

自分のこころを救えるのは、自分自身から生まれる表現だ。どれだけ世界から置いていかれようが、人間のくせにまだAI使わず書いてるんだと言われようが、私は私のこころで、表現をしていたい。私にとって創作は、自分自身を、感情を、救うものだから。


人間がこの世界で一番素晴らしくて、尊重されるべきだとは、思わない。人間が存在している期間なんて、この星の歴史においてはほんの一瞬で。こんなに愚かで弱い生き物は、きっとすぐに滅びてしまう、と思っている。

それでも私は、人間として生まれた。人間として、生きてきた。人生と折り合いがよくなくて、くるしくてくるしくて、文章を書くことに、やっと救いを見出した。いつか死ぬのに、全部終わるのに、救われたいと願ってしまった。創作をやめられずに、生きてきてしまった。

私は、人間を愛している。不完全でどうしようもない、人間を愛している。そんな生き物からしか生まれない、創作を愛している。

いつか、人間が跡形もなくなったとしても、
かつてこんな生き物がいたんだよって、書き残したい。

それができるのは、人間だけだと思うから。


私は、あなたから生まれるあなただけの表現を、愛している。
私は書き続けたい。あなたも、どうか。

どうか。


眠れない夜のための詩を、そっとつくります。