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小説なんて書いている場合ではないのはわかっていた。

会社を辞めたいと伝えて2日、次の働き口を探すための準備も住処探しも退去手続きも役所手続きも保険程度の通院も全部何とかしなければならないのに、小説なんて書いている場合ではない。でも同時に、小説を書かなければ生き延びることなど不可能な気がした。

TOHOシネマのレイトショーをいつまでも予約できない。まだ夜の東京タワーを見ていない。この絶望の正体が何なのか、23年も生きたのにまだ突き止められない。

小学生の時、初めて男の子に好きと言われた。中学生の時、初めて男の子にラブレターをもらった。彼等のSNSを今私はひとつも知らない。かつて好きだった音楽番組は番組表のどこを探しても存在しない。会社帰りにTBSに駆け込んで「私のあの頃を返せ」とテロ行為をしようと思った。交通費は会社と自宅の往復分しか出ないことを考えてやめた。

この世は全部「だからなんだ」でできている。仕事を変える、だからなんだ。住処を変える、だからなんだ。発狂しないように、ひとは思考をある程度のところで留めるのに、私の思考は深夜3時を過ぎても止まらない。

履歴書を書きメールの返信をしていたら発狂しそうになって、気づいたらネット上の原稿用紙に言葉を綴っていた。いつ死ぬかわからないということは、絶望でも希望でもあるのだと思い知り、コーヒーにガムシロを全部入れて飲んだ。

だからなんだ、だからなんだ、でも私はきっと今日も原稿と履歴書を書くのだろうし、明日の面談のことを考えて憂鬱になるのだろう。それはきっと、人生を諦めていないからなのだ、既に自分が狂っているのかまだ正気なのかわからないけれど、まだ私は、自分がこれからも生きていくものだと疑っていないのだ。

今日は死なない、今この文章を読んでいるあなたは、今この瞬間は紛れもなく存在していると、私が命を賭けて証明しよう。

なんて、そんなこと考えるなよ、

どうせひとは死ぬ、でも今は生きている。

それだけのことだろうが、それだけのことなんだよ。


眠れない夜のための詩を、そっとつくります。