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休まること

 どこまでいっても、私は私でしかなかった。


 土曜日、配送日の関係で休みを取ろうかと思ったけれど、人出が足りなさそうなので、やっぱり出勤しようかと、言ったところで、上司から、いいから休めとどやされた。休みを取るのにどやされる37歳はあまりいないと思う。

 案の定店からの電話は10回を超えていたけれど、予想していたこと、すこしだけ翳りがさすけど、いつも通り。

 せっかくお言葉に甘えたのだ、リフレッシュできるようにと、箱根まで足を運ぶ。どこにしようか、いろいろ悩む、この時間は好きだけど、結局考えるのが嫌なのか、知っているところを選んでしまう。私に冒険心は残されているのだろうか。

 以前にもお世話になった日帰り温泉を選び、久しぶりの、足を伸ばせる風呂に入る。青空が目に痛い、でもこの、雲一つないような、青一色を見ていると、すこし、気持ちが高揚する。

 高いところから見下ろすと、つい、いつものように考えてしまうのだけれど、頭を振って、目を閉じた。浮かぶのは、仕事のこと。それも振り払った。せめて今はなにも思わずにいたい。

 渡されたロッカーの鍵は1147。私にとってはとても、とても大事な数字で。なんだか、一緒に来られたようで嬉しくなって、隣にいないことに、悲しくなる。

  書きたいことがあった。それはまた別に書けたらいいなと思うけれど、その、書きたいもののことを考えている間は、すこし、楽しくて、心が潤うようだった。

 だけれど、そんなことより、別のことを考えろと、どこかで声がする。自分の中に染み付いた、そこらじゅうに、ある、それは怒声ばかりを運んでくる。

 これも含めて私なのだろう、この染みは、落ちそうにないけれど。浮き上がろうとして、いつも失敗する、どこか、底の方から、鎖が繋がっていて、今日はここまでと、浮かぶ位置が決められているように。自分にブレーキをかけているような気分になる。

 いま、絶望はしていない、そのことに失望もしていない。だけれど、やっぱり、満たされてる気持ちもしないのだ。

 それでもきっと私は幸せで。生きている、そして、娯楽に耽る、こうして過ごせることは、幸せなのだと、そう思い込もうとしている。

  働くのも下手だけど、休むのも下手なんだろう。電話片手にそんなことを思う。伸ばせるはずの羽は、どこかで引っかかっていて、だけど、それすらも、私が望んでいる姿なのかもしれない。幸せを感じることは罪なのか、そもそも幸せとはなんなのか。ここ最近はひどく落ち込んでいることが多かったから、そんなことも考えられなかったけれど、一度きちんと考えてみなければいけないのかもしれない。生きていくために。

  突き抜けられればいいのに、と思う。

 だけど、できないでいるのが、私なのだろう。



 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫

いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。