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私とは何者なのか。

今日は私自身のことについて少し書いてみようと思う。

私は一人っ子で兄妹がいない。

なので、幼少時から兄妹とものを分け合うことや、共有すること、兄妹ケンカも知らない。

また、良くも悪くもお兄ちゃん、お姉ちゃんを見本にすることも出来ず、何かあればすぐに目を向けられていた。

私の両親は兄弟が多かったため、一人っ子である私を厳しく育てなきゃいけないと思っていたようで、もしかすると兄妹がいる家庭より厳しく育てられていたんじゃないかと思う。

そんな小学生だったある日のこと、自分のお小遣いで買ってきたおやつを家で1人で食べていたら突然怒られた。

両親はお菓子を食べないはずのに…言われた言葉は、

「何故一人で全て食べるのか。食べ物は真っ先にその場にいる人の分を分けなさい。そして、分けた相手がいらないと言ったら食べても良い」と。

今こうやって大人になってみると、両親の言いたかったことが分からなくもないが、当時の私にはよく分からなかった。だって、自分のお小遣いで買ったお菓子を食べて突然怒られるのだから…笑

私の両親といえば、どこか昔ながらの躾をするタイプで何かと悪いことをした時には怒鳴る、または叩くという躾の方針だった。そのせいで私自身どこかに歪みが出ていたのではないかと今は思う。また躾とは別に両親が頻繁に激しい喧嘩していたこともあり、度々その喧嘩の間に挟まれたこともあった。それは今でもトラウマでしかない。両親の喧嘩の途中に呼ばれ、間に挟まれた小学生の子供に一体何ができたのか、その答えは今も分からない。

母はとにかく物に当たる人だった。自分の気持ちが抑えられなくなったら、食器を投げ、家族の箸を折り、すべてをめちゃくちゃにした。私が結婚してからも久しぶりに帰った我が家の食器棚が壊れているのを見てまだやっているのか…と思った。

父は母のようにはしなかったが、我慢の限界がくるととにかく手に負えなかった。誰の話も聞かず、受け入れず怒鳴り、自分の思うままの行動をした。

こんな中で育ってきた私は所々に歪みが出ていたのは事実。ここには書けないような悪いことも…たくさんした。正直、両親が今も知らないこと、たくさんある。警察にお世話になるようなことはしなかったけど…

私が十代の頃までは、私の良くない行動が見つかった時、私は時に物置に閉じ込められ、時に布団叩きで身体中を叩かれ、時に父親に顔を殴られたりもした。旅行先で別行動をして電話に気づかず出なかった私に父親がぶち切れ、たくさんの人が行きかう街の中で怒鳴り散らされ、どうにも収集がつかなくなり泣いたのは高校生の時。反抗期の時は母にほぼ毎日物を投げられ、怒鳴られた。その中でたった1度だけ、耐えきれなくなった私は私よりはるかに小さい母を洗濯機に叩きつけたことがある。それくらい、私自身も限界だった。

20歳を過ぎたらこんなことも終わるのではないかと期待もしたけど、決してそんなことはなかった。

友達と遊び帰りが0時過ぎると母に怒られたし、社会人になって朝帰りしたときは母が玄関で仁王立ちで立っていた。

最低でも朝刊が入るまでに帰って来いと。

自分のお金を使うことにもよく口を挟まれた。貯金もせずにそんなにお金を使って今後のことを考えているのかとも言われたし、友達と旅行に行けば、私はそんなことできなかったと。

母親が恵まれない青春時代をしていたのはわかっていたが、常に現代の私と比べられ、うらやましいことが妬みになっていることは薄々気づいていた。

きっと母は私がうらやましくて仕方がなかったのだと思う。

そんな私も結婚して、親元を離れた。今は年に数回しか会えない程よい距離にいる。正直、年老いていく親のことは心配ではあるが、私は結婚して自由になった。むしろ自由すぎるくらいだ。

そのことについては私の過去を理解してくれ、受け入れてくれた夫には本当に感謝している。ちなみに、私と夫との関係性については別の機会に書こうと思う。

そんな生い立ちがあり、今の雫という私がいることをここに綴りたかった。


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