私の人生はこれが全て。

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私という存在のあり方

今日はさらっとあまり凝りすぎたことを書かずに話してる風に書けたらなーと思う。 人は人生を生きていると短くても長くても人それぞれ必ず幸せと苦労がある。 もちろん、私もその中の一人。 楽しいこと、幸せなこともたくさんあったが、その反面、辛いこと、死にたくて仕方なかったときもあった。 人は幸せでは人生は進めない。必ず苦労が伴うもの。 ただ、時と場合にもよるが、自分で幸せをつかめる時、苦労を避けられる時もある。 前回のnoteにも書いた通り、私は親との関係で少し歪みがある

    • 私とは何者なのか。

      今日は私自身のことについて少し書いてみようと思う。 私は一人っ子で兄妹がいない。 なので、幼少時から兄妹とものを分け合うことや、共有すること、兄妹ケンカも知らない。 また、良くも悪くもお兄ちゃん、お姉ちゃんを見本にすることも出来ず、何かあればすぐに目を向けられていた。 私の両親は兄弟が多かったため、一人っ子である私を厳しく育てなきゃいけないと思っていたようで、もしかすると兄妹がいる家庭より厳しく育てられていたんじゃないかと思う。 そんな小学生だったある日のこと、自分

      • 初めて感じた愛

        19歳で処女を卒業した私に次に待っていたのは大好きな人との出会いだった。 処女を卒業し、しばらくした後に専門学校で好きな人が出来た。 同じ年で、私は2年制、彼は1年制の学科の学生だった。背が高く、顔が小さいのに目鼻立ちがはっきりしていて、いつも輪の中心で笑っている彼がとにかくかっこよかった。 当時はまだ学校内に喫煙室があり、授業の休み時間ごとに喫煙室に来ていた。彼が好きなタバコはラッキーストライク。私は彼と少しでも同じ空間に居たくてタバコを本格的に始めたほどに惚れていた

        • 雫という存在の始まり

          私が初めて男性と身体を合わせたのは19歳の時だった。 昔からずっと太ってた。それは今もだけど。 彼氏もいたことはあったが、以外にウブな気持ちもあったり、思い切ることも出来ず、ただただ高校の友達の初体験の話を聞いては羨ましいなと思ってた。 その中で私はいつしか仲の良い友達とエッチな話になると雫は紙のパンツと言われるようになった。簡単に脱がせそうなのに意外と手こずるからとの理由で。 惚れやすかったので、常に好きな人はいた。でも太ってた私は当然付き合える訳もなく、好いてくれ

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