みぃさん連長船の旅_180820_0005

”一日たりとも自分自身に飽きないで生きたい。”

あけましておめでとうございます!
2019年、今まで頑張れなかった書く、発信する、ということを少しだけ頑張りたいと思ったので、年内に100記事UPを目指していきたいと思います。

さて、いよいよ動き出しの年です。整地が始まりました。
「やりたいをカタチに」する場所づくりを本格的にはじめます。
場所は、私の地元である香川県高松市!ですが、この話はまた追々。

近年の社会の変化はとっても激しくて、副業元年だった2018年、働き方の多様性はもちろん、男女ともに働き方や子育ての在り方が変化し、バリキャリよりも、自分の望む「豊かさ」をそれぞれが考える時代になってきたなぁ、と感じます。

それでも、まだまだやりたいことをやる人であふれる、という世の中にはなかなか近づけていません。やりたいことを諦めず、めいっぱい、カタチにできる。それぞれが、自分の役割を握りしめて、「らしく」生きるという選択肢が選べる社会を作っていきたいな、と思います。

脱・私なんか
日本人の気質として、私もそうですが「私なんか」と言いがち。
そうなんです。自分にとってはできることが普通で、価値があると思わないわけです。
例えば、私には「料理」がそれにあたります。
年末年始もずーっとキッチンにいましたが、本当に飽きない。
世の中には料理が苦手な人もいて、苦手だけど作らないといけないから作る人もいて。
私のこの飽きなさ具合は、好きとか、嫌いとか、やることが当たり前、とか、色々な感情をすっ飛ばした無心の状態に近いです。根底は好き、なんですが。
2017,2018年と色々な場面で料理を振舞いました。私にとっては生活の一部で、当たり前のことであり、もはやストレス解消の手段でもありますが、美味しいと言ってくれたり、食べたいと言ってくれる人が増えました。
「料理がおいしい」「何の料理でも、無人島でもどこでも、どんな人数でも対応できる」「作ってほしい」と言われるようになりました。

自分にとって当たり前のことは、誰かにとって価値がある。

評価してくれる人が私はまわりにいたからこそ、少しずつ自信を持ちました。才能、と呼ぶのはおこがましいような気もしますが、価値や才能は、誰かからの言葉があって初めて見つけられるもの。自分ひとりで完結した世界では、いつまでたっても普通で、当たり前であり、自分はすごいかもしれない、なんてなかなか思えません。
私はいろんな人にもらったからこそ、「あなたはすごい」と声に出すことの大切さを身をもって感じました。

自分の価値や才能は、自分で小さく決めない。
必ず、思っている以上の大きさで、誰かに届いていることがあります。

線なんて引かない
私は「料理をシゴトにしているのか?」と聞かれたら、またこれも難しい。趣味の延長みたいなものだともいえるし、でもお金を頂くこともあるのでシゴトのときもあります。
最近は、仕事と遊びの線引きが本当に曖昧。もはや、無い。
ずっと遊んでるし、ずっと仕事してる。仕事が遊びだから、休暇って言葉も特にない。この「発信」の作業も、仕事であり、遊び。
2019年、一日たりとも自分自身に飽きないで、生きていこう。

ちなみに。私は広告のコピーが好きです。特にルミネのコピーにハッとさせられることが多い。しばらくnoteのタイトルをコピーを引用したいと思います。

一日たりとも自分自身に飽きないで生きたい。 by LUMINE

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