この家どうするの?(34)葬儀屋さん今昔・10「火葬待機」
父は、A 葬祭さんのお部屋にいます。お迎えに行ってもらって、わたしは何もしていない。この間にやることは。
つらくなるかたは、お読みにならないでください。
(1199文字)
喪服をとりに
お昼ごろのお迎え、監察医事務所から無事に出てこれた父。出棺まで、A 葬祭さんに滞在OKというご好意、いや業務。
ありがたいことだ。もし実家に火葬まで安置なら、家族なのに怖い。親不孝のかぎりをつくす娘のわたしでも。
しかし、火葬場の状況が、まるでわからない。きょうは、さすがにすぐ火葬はないだろう。早くても明日以降。今晩は喪服を自宅マンションに取りに帰ろう。
父があの世に旅立ち現世で、わたしはひとり。家族も親戚もない、葬儀に限っては、誰からも何も言われない。
助かった……。
自宅と実家
自宅と実家がおなじ大阪市内、電車で50分ほどの距離。近くて良かった。とりあえず自宅に帰りました。これからがバタバタする現実、嵐の前のなんとやら。
翌日、一時帰宅。喪服や靴などを持って、空っぽの実家にとんぼ返り。
近所の家のみなさんに、ご挨拶。父が生前……お世話になりました。(救急車やら警察やら騒がしくして、ご迷惑をかけました。)
父は人づきあいも苦手だったし、近所でベタベタしたつきあいも何もありませんでした。
助かった……。
捜索と片づけ
しかし、当分は後かたづけがある。その前に、通帳と年金手帳の捜索。ちょっと気が重い……。
でもこれは逃げれないのだ。わたしが手続きを、しなくてはいけない。
まず、父の布団をまとめよう。布団を広げたまま、動かず寝っ転がっていた父。お金関係のありかは、まったく聞いていなかった。
粗大ゴミ1号の布団セットができた。
とにかく捨てないといけない。
エンディングノート
オットには、早くから「エンディングノート」を渡した。
義父が亡くなったとき、オットはわからないことが山積状態。
義母も携帯電話を持っておらず。いろいろな不便をこうむった。
義母は、ある日突然に倒れて、二度と目を開けることがなかった。
そんな経験があり、
オットは、即、素直にエンディングノートに記入していた。
父が生きてるうちに、大学ノートでもメモでもいいから、だいじな事を書いてもらえば良かった。
「まだまだワシは死なんわ、あと3年」
怒らせてはいけないと、引っ込めたじぶんが悪いのだった。
わたしも、ちかいうちにエンディングノート書こう。
実家の手近なところの片づけしながら、細かくチェックしていくしかない。見つかるまで。
まずは、ごみ袋に入れてゆく。
どうしようか。これから。
この家はどうなるの。
A葬儀社から、電話がきた。
「火葬の日程が決まりまりました。」
A葬祭さんは仕事が、はやい!
「あさっての午前中です。」
(不謹慎ながら、つづきます)
いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに
さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。
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