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性別が変わることでまわりの人たちの態度も変わるという不思議

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海釣り公園という場所がある。入場料を払って、釣りができるという公園だ。公園と言っても、遊具があるわけでもなく、鉄骨の足場が組まれていて、海の中程まで道ができてるので、魚がいそうな場所で釣りができるというもの。
私がまだ女の子だった頃、ときどきその公園に行って釣りをしていた。女の子だったと言っても、ボーイッシュな感じで、男か女かわからない風貌ではあった。でもまだ声も高かったし、胸もあったから一応女の子っぽく振る舞うようにしていた。

その日はあまり釣れなかったので、他の釣り人は釣れているのかなと思って、竿を置いて、見回りがてらうろうろしてみた。すると、一人の男の人がものすごくリラックスした感じで、例えるなら家でテレビ見てるぐらいの力の抜けた感で、地べたにあぐらをかいて座りながら釣りをしている姿が目に入った。座ったままなのに、どんどん小さいアジを釣り上げては、とても器用にバケツにぽんぽん入れていく。涼しい顔をして、餌のオキアミを餌かごに詰めて、また竿を海に落としていく。頭にはタオルを巻いて、髭はぼうぼうで、服装は釣りというより何か部屋着みたいなラフな格好。たまに一服したりして、一人で楽しんでいる。俺は俺の釣りをして楽しんでいるというただものではない雰囲気が漂っていた。

その姿を見て、正直、うらやましい、ああなりたい、とあの場で地団駄を踏みたいくらいに衝撃を受けた。たぶん、他人には理解しがたいかもしれないけれど、私はそのときそう思ったのだ。私が憧れる男性像だった。堂々と一人でのんびり自分のペースで振る舞いたい。私にはそれができなかった。いつもおどおどしていた。自分がどの性別で見られているかが気になりすぎていたからかもしれない。

今の時代ならそこまで気にしなくてもいいかもしれないし、自意識過剰であるかもしれないけれど、あぐらをかいて地べたに座って、外でだらりと過ごすなんて、女性だった私には到底できない姿だった。

当時はまだ女の人で釣りをする人は少なかったし、いたとしてもカップルだったりした。だから、釣りをしていると、必ず、釣りを教えたいおじさんたちが次から次に来て、まったく集中できないということも多かった。ひどいときは、ずっと横にいたりする。その出会いを楽しむという人も多いだろうけれど、私はそれよりただ自分でのんびり釣りをしたいだけだった。おじさんたちは、釣れたほうが楽しいだろうといろいろ教えてくれるけれど、みんな言うことが違うし、自己流なので、振り回されて、自分でやるという貴重な時間を奪われていった。ちょっと貸してみなと言って、違う場所に竿を持っていかれて、結局、おじさんが釣ってみたりして。それで釣れたら、おじさんを褒めてあげないといけない。ここは夜のお店じゃないよと思いつつ、引きつった顔で、すごい!ありがとう!と言ってみたりした。そうしないと自分がひどく冷たい人間になったような気がして耐え難かった。

年々、私の外見も男に近づいていった。胸をつぶすための下着を着るようになって、胸もなくなった頃には、女の子時代ほどに、おじさんは寄ってこなくなった。来たとしても、普通に釣れてる?みたいな穏やかな会話で終わる。ある程度のお互いの尊厳を守りつつの交流。私には平和が訪れつつあった、けれど、次のおじさんたちのターゲットは一緒に釣りに来ていた私の奥さんだけに向かうこととなった。最初の頃は、奥さんも断れなくて嫌だという感じだったけれど、だんだんと慣れてきたみたいで、おじさんにいろいろ言われても、上手く交わして、ときには質問したりして会話を楽しむという感じになっていった。そういうところは本当に強いなと思う。私にはできない。

その後、手術して髭も生えてくる頃になると、話しかけてきてくれるおじさんたちの話題が変化してびっくりした。女の子時代には、いろいろ教えてあげようおじさんばかりだったのに、今度は、実は初心者なんだよという感じで、釣りの知識の話はほとんどなくなっていった。外見って本当に重要なんだなと思った。

こういう経験は、釣りのときだけじゃなくて、他の場面でもたくさん経験した。自分の中身はそのままなのに、外見が変わることで、周りの対応が変わってくる。性別の違いだけじゃなくて、職種が変わった時も同じだった。先生と呼ばれるような職種だった頃に接したことのある人が、営業とか配達とかの職種になったときに接したときに、まるで別人ですかというぐらいの態度であしらわれたりした。向こうは同一人物だと気付いていないから仕方ない。それに、性別も職種も、どれも私自身ではないのだ。私の外にくっついている何かお飾りみたいなものだ。

人の態度なんて、その時の気分や、相手のスペック次第でコロコロ変わるんだから、あまり気にし過ぎてももったいない。もちろん私自身だって、そうだし。それが人間の滑稽だけれどおもしろいところなのかもしれない。

自分の内側から発せられる何かを、掴んだと思ってもすぐに消えてしまいそうなそれらを、1枚でも多く作品にしたい。同じ感性や同じ心象風景を持つ人たちの元に作品を届けたい。と願って日々描いています。またサポートして下さることでいのっちの電話に使える時間も作れるので助かります!