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「Twilight Space online ―シンデレラ・ソルジャー―」第五話

  • 11167文字

「ええ……みなさま。大変お見苦しい姿でしょうが、すみません……」

 幾本も並ぶ、腰ほどの高さの黒い柱。私はその一つに這いよると手を伸ばし、そのボロボロになった表皮を掴み、身体中に塗っていく。

 辺りはまだモウモウと白煙が包み、ゆっくりと熱ダメージでHPバーが減っている。その場でぐでんと仰向けにかえると、ポーチを開いて応急パックの封を開け、拳銃型の注射器を右腿に当て打ち込んでいく。

「これで、三本目です。先ほどからのダメージの減少を見ると……もうそろそろ、この場の熱ダメージは収まるはずだと思います」

 再びその場で腹這いになると、バックパックを降ろしてストレージへとアクセスする。なるべくシルエットを変えないように、地べたに身を伏せたままモゾモゾと、イモムシのように作業を進めた。

 あれからしばらく、あの銃声は聞いていない。本当にあの最期の一発で、彼はやられてしまったのだろう。

 だとすれば、彼を狙っていたスナイパーはかなり集中してそのスコープを覗いていたはずで、私がこちら側へと逃げたことを、まだ気づいていないはずだ。上手くすれば森を出ていない私のことを、ここで焼けてしまったと考えるはずである。

 確かに、現実でならば生き残れない。炎のいざ燃えている部分をスッとジャンプで飛び越えたくらいで、その熱から逃げるだなんて不可能だろう。

 ましてその焼け跡の地に伏せ、こうして潜伏なんてできるはずがない。本当ならば今頃の私は全身重度の大火傷、あるいは熱い煙を吸い込んで、肺が焼けてしまっているはずだ。すくなくとも今この場にこうしているだけであっても、焚火の跡の焼き芋のように、ふっくらと焼けてしまっているはずなのだ。

 T.S.Oの他の要素に比べると、そうしたキャラクターのステータスがかなり簡易に作られているのは、ゲーム的なデフォルメか、あるいは様々なプレイを許容するVRMMOで、残酷な行為を再現させないためなのだろうか。

 応急パックをこうして打てば、どこの箇所、どのようなダメージだろうとも、簡単に身体を回復することが出来てしまう。

「応急パックを補充して、シールドセルも交換しておきます。そういえばグレネードも、もう何個か用意しておけばよかったですね……ごめんなさい。ほんと見苦しい姿だとは思うんですけど、今はこうして……なるべく身を隠さないといけないんで……」

 もう一度、焼けた株に手を伸ばし、辺りの灰と混ぜて身体に塗り付けていく。今は辺りがどうなっているのかは分からないが、まだあのスナイパーは周囲を探ってるかもしれない。こうした灰や煤のパーティクルがどれほどの寿命を持つのかは分からないが、この煙が晴れたあと、しばらくは姿をごまかせるはずである。

 ふと焼け炭をむしった木の芯が、意外なほど綺麗に焼け残っていることに気が付いた。その半ばまでは火の通ったタマネギのようにもなっていたが、さらに芯の方は、殆ど生のまま残っていた。

 あるいはこの植物だけの惑星で、彼ら樹木の光合成の栄養は、こうして出来上がっているのではないか、と考える。

 あれだけの植物が日々陽を浴びて光合成をつづけていれば、だんだんと大気の二酸化炭素は減って、酸素ばかりが残ってしまう。現にこの星の大気は酸素が多く、ああした森林火災は、地球では見られないほど激しいものだ。

 しかしそうした火災を織り込み、こうして地上の茎や葉を犠牲にしても生き残れるなら、その種はこの星の中で半永久的に繁栄できる。ほかの植物が焼けてしまっても、自分たちの若木が焼け尽きても、その灰によって土地を改良し、この星の大気に大量の二酸化炭素を放出できる。

 彼らは偶然的にいつか火が熾ることを知っていて、またその灰の中から、芽吹く時を待っている。そしてそうしたサイクルによって、この星の生命はゆっくりと、静かに呼吸を続けているのだろうか。

 プロシージャル生成と呼ばれる技術は、ゲームやCGの世界ではもう何十年も研究されている分野らしいが。そうしたアルゴリズムは、どれほど細緻にこの宇宙を作っているのだろう……。

≪バトル・フィールドの縮小を開始します。参加者の皆さまは、地図で地点をご確認ください≫

「えっ……?」

 少し考えていたと思ったら、意外なほどに時間が過ぎていたようだった。ゆっくりとその場で姿勢を変え、身体に隠しながらホログラム地図を確認する。

「ああ、すみません。まだここは、大丈夫なようです」

 地図には既にフィールド外になった地域が暗い斜線で表され、その中に薄いオレンジの丸と、さらにまた小さな円状の地域が通常表示で示されている。幸いなことに私のプレイヤー・マーカーはその小さいほうの円の中に納まっており、今回のフィールド縮小では対象とならない地域だった。

 しかも、ちょうど今私の背にしている範囲が、先のオレンジの範囲の端でもある。したがって、そちらの方から他プレイヤーが、この範囲へと来る可能性は低かった。

「運がよかったです。いましばらくは、ここで身を隠していれば……いえ。えっと、ちょっと待ってください……」

 思わずその場で顔を上げ、ライフルを立ててスコープを覗く。倍率はさほど高くないが、それでも肉眼よりはしっかりと見られる。

 この黒い灼けた森の端。そこから少し離れた場所に、先ほどのあの紫迷彩の人が倒れている。シルエットはその場にうつ伏せで分からないものの、この黄色い大地の中ではやけに目立つ。補色効果というのだろうか、本当に浮き上がって見えるほど、その存在は特徴的に目立っていた。

 目には痛いと感じつつもじっとその方向をスコープで覗くと、なにか今度は黄色いものが、倒れたあの人物の周りで動いていた。

「すみません。ちょっと、見えますでしょうか……?」

 素早くドローンに指示を送って、手元によせる。両手に保持して詳細設定のメニューを開くと、双眼鏡のように構えてあちらをズームし、マークする。

「おそらく、あの紫の迷彩を着た遺体が、先ほど交戦した人物。そしてあの黄色い迷彩の人が、この森に火を放ったスナイパー……だと、思います」

 ドローンを手放しその場に浮かすと、もう一度ライフルを構えスコープを覗く。

 あちらも警戒はしているものの、スコープや双眼鏡のようなものは時折にしか使っていない。今はこちらの方が相手を覗き、その挙動が手に取るように観察できる。

 手には銃身の長い、狙撃用ライフル。迷彩によって身体の輪郭は掴みずらいが、その銃によって彼がどちらを向いているのかはよくわかる。

 彼は非常に用心深い獣のように、あの紫の人物――倒した獲物を物色している。今は相手の背中に手をかざし、おそらく、そのストレージにアクセスしていた。まだまだリーグは序盤戦、しかもあれほど手際よく倒せたのだから、彼はかなりの戦利品を獲たはずである。

「――いえ、ダメです。すみません……」

 トリガーガードから指先を抜き、ライフルを斜めに寝かせ、出来るだけ低く姿勢をなおす。一瞬、ドキリと跳ねた心臓を無理矢理に押さえつけるように、身体全体をその場の地面に押し付ける。

「ごめんなさい……その。今回はすこし、様子を見させて下さい。ほんとうに、つまらないかもしれないけれど……すみません」

 配信の向こう、そして自分に言い聞かせるように、その場に呟く。

 あのスナイパーは、かなり強い人……なのだ、と思う。それこそあんなに手際よく、先ほどの人を倒せるほど。

 あの森の中で聞いた銃声は、土煙の上がったしばらく後に響いてきた。つまり彼は銃弾と音速の差が、それほどはなれる距離から狙撃をしていたのだ。もしかしたら、あの時間は私の感じた錯覚なのかもしれないけれど、それでもかなり長距離からシールドを割り、そして立て続けに命中させて、逃げるあの人を倒してしまったのだ。

「レティクル……っていうんでしょうか? その、スコープの目盛りで距離とかいろいろ測るんですけど。あの人が警戒して立ち上がらないから、距離も全然わからないんです……」

 本当ならば、それでもいろいろ方法は、あるのかもしれない。でもには私はそれをわからないし、今この場で複雑な計算とかしてそれをやれと言われても、絶対に私なんかには無理だろう。

 ここからでもそれなりにあのスナイパーとは距離があって、不用意なまま撃ったとしても、無理矢理に距離を詰めようとしても、彼に返り討ちにあう予感しかしない。たとえ彼が気づかないままあのスコープをこちらに向けた場合でも、私はすぐさまこのライフルを倒し顔を伏せ、彼に見つからないことを祈るしかない。

 それほどにあのスナイパーに、私は圧倒的な脅威を感じていた。

「本当に申し訳ないんですが、このまま私は隠れることに専念して、状況が変わるのを待とうと思います。少なくともあのスナイパーの人が、警戒している場面では動かない方がいいと思っています……もし、まだ配信を見てくださっている方がいても、ずっとつまらない画が続くと思いますが。それは、ほんとうにすみません……」

 もう何度目かと自分でも思うほど謝って、じっと息をひそめてトリガーに手をかけないまま、ライフルのスコープを覗き続ける。

 あのスナイパーがああして倒した相手を物色しているということは、とても幸運なことだと思う。あの人におそらく私が死んだと思われていることは、ほんとうに私にとって運がいいことだ、と思うべきなのだ。

 すくなくともあの狙撃ライフルで狙われず、そしてあの人もどうやらこちらの方向は、完全に人がいないと考えている。したがって彼が次の縮小範囲を目指すときには背後を取れ、他の誰かにあのライフルを向けている場面で、奇襲を行えるかもしれないのだ。

 私はまたその場の灰を身体に塗り付け、じっとスコープの向こうの相手を観察しつづけた。

 ***

 ようやくチャンスが巡ったのは、あと二回ほどバトル・フィールドが縮小し、非常に慎重な彼が敵に狙いを定めた時だった。

 現在、スナイパーはそこからすぐの丘陵地の頂から覗き込み、その向こうの状況を確認していた。私はギリギリまで待って縮小していく境界スレスレから彼を追い、幸いなことに彼はまだこちら側へと気付いていない。

 単に幸運からだともいえるが、私はあの時の経験から土や灰で、相手が何の気なしに見た程度ではごまかせるくらい、偽装できる技術は学べたのだとも思う。決して平坦ではない大地の凹凸でシルエットをごまかせば、意外にもそこに人がいるとは気づきづらいようだった。

 それに彼は慎重に移動をおこなって、比較的範囲の端を陣取っている。そしてだからこそ、もう背後から敵が来る可能性は殆ど無いと見なしているのだろう。

「今あの丘の向こうの方から銃声が響いていて、あのスナイパーはその人たちに漁夫を仕掛けるつもりのようです。彼が狙撃を開始し始めたら近づいて、十分な距離から仕掛けてみたいと思います」

 漁夫。漁夫の利。浜でシギとハマグリが争っていたところ、両方を漁師が簡単に獲ってしまったという故事から、人と人との争いの最中、第三者が利益を得てしまうことのたとえ。

 横文字の多いゲーム関係の言葉の中で、不思議なほどにそれは馴染んでいる。

 あのスナイパーはあの丘の向こうの戦いの、そして私はそんな彼の戦いを、横槍でかっさらおうと狙っている。そしてそうした場面にあたって、また誰かに狙われるリスクを冒さねばならない。そしてもちろん彼自身に、私が狙っていることを気取られてはならないのだ。

 しばらくのあいだ、彼がそうして戦いの準備を行うたびに、奇妙な”だるまさんが転んだ”が繰り返され、私の心は焦り始める。相手が向こうを覗くたびに、歩を進めるためのルートを探し、次に隠れるべき遮蔽を探す。そしてその地点から彼までの位置が何メートルくらいになりそうか、何とか把握しようと努める。

 彼が狙撃を始めたら、その遮蔽を辿って彼へと近づく。そして十分な距離へ近づくことが出来たなら、一気に射撃を開始して、彼が立ち上がったり振り替えったりする前に、弾丸を浴びせてシールドとHPを削りきる。

 問題は、彼があの丘の向こうの戦闘によって、どれほど相手が消耗した時点から狙撃を開始しはじめるか。

 あの森での戦いでは私のグレネードのフラグが当たるまで、おそらく無傷であったろう相手をおびき出し、長距離射撃による3~4発で仕留めてしまった。もしも今回もそうならば、私はせめて三回の射撃に際して距離を詰め、相手のその次の一発を期待しながら、すぐさま奇襲を行わなければ。

 見るとスナイパーはジリジリとその場で位置や体制を変え始め、狙撃の準備を確かめている。私はもう一度頭の中で辿るべきルートをシミュレートし、ライフルの射撃モードをバースト射撃へ切り替える。そしてこちらもジリジリと、移動のための体勢へ移った。

 ――ターン!

 まずは一回。ここはなるべく速度を稼ぎ、一気に距離を詰めていく。

 ターン!

 そして二回目。すこしだけ腰を低く保ち、動きを抑えて、地面を擦るように移動する。

 ここではたと気付いたが、おそらくこの星の気圧では、音速そのものが少し遅い。振動の伝わり方の速さは、その媒体の密度に依存する。三半規管の感覚がないVR空間では気付きづらいが、この星は重力も、大気も、そしてそうした環境に依存するあらゆる自然現象が、まるで違うと考えなければ。

 ターン!

 三発目。首尾よく最後の地点へとたどり着き、その場にしゃがみ、次の射撃まで一拍まつ。相手がスコープを覗くであろうタイミングでなるべく向こうへ近づいて、あの大きな発砲音に合わせて背後を撃つ。

 すべてが上手くいったなら、素早く彼の荷物をあさり、この戦場から離脱できる。

 しかし、私が身を乗り出したタイミングで、あのスナイパーが振り向いた。あの長いライフルをグルリと回し、仰向けになって、目が合ったのだ。

 何故……と、一瞬頭の中が真っ白になるが、彼の背後で砂煙が立つ。遅れて丘の向こうから銃声がして、彼もバレたのだ、と気付く。

「くっ……!!」

 素早くその場に片膝をつき、ギュッとその場で全身を固める。思わず喉がなるけれど、今は構っていられない。立てた膝上に左ひじを置き、その上にライフルを据えてスコープを覗く。

 タタタッ!

 グリップを握る拳、ストックを押し付けた肩に鋭い衝撃が加わって、一瞬膝と左腕の肘から重さが消える。あのスナイパーの少し左に土煙。跳ね上がりの戻ったスコープの中のレティクルを読んで、背中や肩を力いっぱいに捻り、少しだけ方向を修正する。

 ――タタタッ! タタタッ! タタタッ! タタタッ!

 素早く指を切って、さらに数回。トリガーを引くのとともに全身を力ませ、暴れる銃を制御する。

 数発目からようやく相手のシールドを削り、ビビビッっという電子音とともにXの字のヒットマーカー。以降、ズビッという生身に対するヒット音が続き、マガジン内の半分ほどを打ち切ると、相手の腕からライフルが落ちた。

 黄色の砂煙をあげながら丘の斜面を、彼の大きな狙撃ライフルが、こちらの方へと滑り落ちた。

「…………はっ!」

 しかし肺の三分の一を吐き出したところで、思い返して息を止めた。

 まだ、まだ終わっていない。まだ丘の向こうには、敵がいる。

 どうするべきか。いや、そんなことは決まっている。この場で迎え撃たなければ、今の私には逃げ場はない。

 今まであのスナイパーが油断していたのは、彼がエリアの端を背にしていると考えていたからだ。私は彼とゾーン端との狭い間を縫ってきたが、そんな芸当が許されたのも、このバトルエリアから先ははるか上空の、自動ドローンが狙っているから。フィールドから出るということが、無慈悲な死を意味するからだ。

 今この場から後ろへ逃げれば、そのドローンに殺される。もしもエリアの端を沿って逃げたとしても、現在の狭まったその弧の中では、向こうの敵からは丸見えとなる。

 私はその場に立ち上がると、胸のポーチからグレネードを取る。あえてレバーに手をかけずにピンを抜くと、一息飲んで二つ数える。

 なるべく山なり、大振りに。向こうの丘をめがけて投げつける。

 上手く空中でパンと爆ぜたが、案の定相手の方にも当たらない。そして運のいいことに、私の方にもその飛び散った破片は当たらなかった。

 それでも、これで相手への牽制にはなったはずだ。少なくともこの破片の散った範囲を迂回して、相手はあの丘を越えてくるはず。投げ方の癖でだいぶ右側によっていたが、なら正面から左に賭ける。

 私はもう一度その場で射撃姿勢を固め、息を殺して相手を待った。

 先ほどはあの丘陵の頂にいた、先ほどのスナイパーへの射撃は成功した。皆に言われていた通りかなり弾丸は直進し、遠めでのゼロインの調整は功を奏した。したがってあの丘の向こうから出てくる相手も、先ほどと同じ射撃感覚でいけるはずだ。

 何度か息を整えようとしてみるが、心臓の鼓動が収まらない。さきほどから落ち着けようと何度も息を貯めて、そしてゆっくりと吐き出してゆく。そしてそうしている間にも、まだ敵はあらわれない。

 相手が逃げてくれたのか、それともあのスナイパーに撃った射撃は牽制で、むしろあのときから既に逃げるつもりだったのか。だとするとあのグレネードは他の参加者に意図せずこちらの存在を知らせてしまう、単なる悪手だったのではないのだろうか。

 じっと眺める丘の稜線に、スッと何かが頭を出す。私はある程度この大地の砂に塗れており、向こうからはおそらく見つかっていない。

 その相手はゆっくりとその稜線の上から辺りを観察し、そしてゆくっりと、ゆっくりとだがその稜線を越え、こちら側へ……。

 ――タタタッ! タタタッ! タタタッ! タタタッ! タタタッ!

 素早く指で、五連続。三点バーストで系15発もの弾丸を、間髪入れずに打ち込んだ。その後も何度かカチカチとトリガーを引きつづけ、相手がダウンしたと気づくまでにしばらくかかった。

「はぁ……はぁ。私……私、やりました……二人。二人も……」

 今しがた何キロも走ったように体が重く、鼓動が速い。VR中の運動に疲労はないはずだというのに、身体や胸が、なぜか異様に重く感じられた。

「これで……この場にはもういないと思いますが……はやく戦利品などで補給して、次の縮小に備えないと……すみません。ほんと。ちょっと……上手く身体が動かせなくて……」

 突然どうしたのだろう? VR機器の異常だろうか? それとも何か体調不良で、私の脳波が整わないのか。いや、現代のVRはそんな大まかな仕組みではないはずだが、何かが私のVR操作を阻害している。

「すみません。いま、いますぐ……」

 フラフラと立ち上がり、両手で斜面を掴みながら傾斜を上る。スナイパーのストレージにアクセスすると、応急パックやシールドセル等、とりあえず使えるものを取り出していく。

「あっち、も……そうですね」

 それから、同じくこの丘の頂上で倒れた先ほどの誰かの方へ向かおうとしたが、立ち上がった瞬間、その丘の向こうの麓で何かが動いた。

「なに? 誰……?」

 思わず言葉を出したその口を自分で塞ぎ、素早く稜線のこちら側に身を隠した。

 あれは誰なのだろうか? なぜ、こんなところに? 混乱して、分からない。ただとにかく、彼もまた返り討ちにしなければ、自分はここで負けてしまう。そんな不安が急速に襲って来た。

 慌ててライフルについたマガジンのスリットを覗き、弾がなくなっていることに気が付いた。いや、確かに先ほど打ち尽くしたはずだったが、そんな事さえ頭の中では忘れていた。ただ弾が減っているというような、もう曖昧な感覚しか頭には残ってなかった。

「すみません……いま、マガジンを変えて……変えていこうと、その……」

 胸のポーチからマガジンを取り出し、その角の部分で奥まった場所のリリースボタンを強く押す。そう……強く押す。強く押すのだ。

「あれ……? ごめんなさい、おかしいです。なんか、ごめんなさい。全然……押せないです。マガジンの……なんか、なにかおかしいんです」

 腕のや指の関節がなぜかカチカチに固まって、マガジンを取り出すのにも苦労する。両手で取り出したそれを片手に握るのもどこかおぼつかない感覚がして、手元の遠近感さえどこか曖昧になっていく。

 マガジンの角で、ライフル側面のボタンを押し込む。マガジンの角で、ライフルボタンを押し込む。この角でただあのポッチを押せばいいのに、私はいつまでも見当違いな場所をマガジンの底で打っていて、ガチャガチャと乾いた音が鳴っている。

「ごめんなさい。ごめんなさい……全然、なんか上手く腕が動かせなくて……すみません。そう、相手は? 相手はもう来てますか?」

 一旦リロードの作業は中止して、もう一度向こう側を覗いてみるが、しかし、相手はいなかった。

「あれ……?」

 その頂から顔を覗き、右を見渡し、左を見渡すが、どこにも先ほどの人影は見えなかった。先ほどは確かにいたと思った、フードとマントを纏った、アンドロイド型の銀のアバター。どこかに隠れてしまったのか、そもそも私の見間違いか。

 ――ブーーーーッ!!

 しかし突然、目の前に激しく土煙が上がり、ビッビッと青白いエフェクトとともにシールドにダメージが入る。鈍いブザーの様なけたたましい音が鳴り響き、視界の一点で鋭いマズルフラッシュが光っていた。

「ウソ……ずっと、正面に……?」

 何故だかそれまでその男の事が見えておらず、射撃体勢に入っていることさえ気づかなかった。相手はなんの偽装も施さず、先ほど見た時から、まっすぐこちらへ進んでいただけだというのに。

 姿勢を下げて斜面のこちらに身を隠すと、先ほどの二発でシールドの殆どが消えていた。撃っていたのは、おそらく中~大口径の機関銃。ほんの一瞬ではあったものの、その手元からは零れるように大量の薄黄色の空薬莢が飛んでいた。

 その場で寝転んだまま転がって、麓の方へ姿勢を向ける。斜面の上で何とか膝に力を入れると、中腰になって二個目のシールドセルを下に押し込む。

「どうしてこんな時に、上手くVRが動かないんでしょうか……全然、指が動きません。どうして……ああでも、何とか相手に応戦しないと」

 もう一度マガジンを拾いリロードを試すが、上手くいかない。せめてこの峰から距離を取ろうと踏ん張ると、今度は力が入りすぎて、斜面から飛び上がる形でつんのめり、下のほうまで転げ落ちた。

「ごめんなさい……ごめんなさい、皆さん。なにやってるんだって思われるかもしれないけど、ほんとうに上手く……身体が上手く動かないんです」

 まるで上手く飛ぶことの出来ない、悪夢のようだと思った。

 その夢の中では自分は飛べる、ほんとうに鳥みたいに飛べるのが当たり前の夢なのに、その夢の中で自分だけが上手く飛べない。飛ぼうと思うと身体は浮くのに、すぐにコントロールが不能になって地面に落ちる。

 私は深い息を吐きながら、ひとつひとつの動作に集中する。

 まず手をついて、顔を上げる。それから腰を捻って、右ひざを曲げる。今度は逆に捻って、膝に身体をあずけると、背筋を伸ばして上体を起こす。

「とにかく、応戦しないと……戦わないと」

 腰から下が言う事を聞かず立ち上がれないが、すこしは冷静になりつつあった。

 右腿のホルスターのベルトを外す。両手でなんとかボタンをはずし、ベルトの端をめくりあげる。それからゆっくりとハンドガンを抜くと、膝の上にのせて右手に握る。親指を掛けてグリップを握り、左手で人差し指を掴むと、慎重にトリガーガードへ押し込んでいく。

 ――パン!

 膝の上で暴発し、視界が一瞬赤いエフェクトに縁どられた。それなりの距離からの攻撃はシールドが防ぐが、このようなその内側からのダメージは、HPへの直接ダメージとなるらしい。

 何度か辺りを見回すと、ようやくあの丘陵を越えてこちらに近づいてくる相手が見える。一面の黄色い大地は見えているはずなのに、なぜこんなにも敵を視認するのに苦労するのだろう。スライドを引いて、動作不良で詰まった空の薬莢を排莢する。

 親指をグッと立てるように、左手は、その右手を包むように。ハンドガンをまっすぐ突き出し、手前の照門と奥の照星が、目線と相手の身体に重なるように構える。

 ――パン!

 ライフルや相手のマシンガンと比べると、まるで現実味のない爆竹の破裂のような音。

「どうして……」パン! 「当たらない」パン! 「なんで……」パン! 「どうして……?」パン! 「ごめんなさい」パン! 「ごめんなさい……」」パン!

 相手がその頂を越え、こちらに全身を現すまでに、たったの一度も当たらない。少しだけずれて斜面に当たるということもなく、本当にあのはっきり見えている相手にも掠らず、その奥の丘の斜面にすらも当たらず弾が消えた。

 スライドが後退し、弾がなくなっても痙攣したように人差し指が動きつづけ、トリガーを押し続ける。この銃がそういう作りになっているのか、このゲームの仕様なのか、映画やアニメのようにカチリとも鳴らず、押し込まれたままの固いトリガーが冷たく指を押し返した。

「はぁ……はぁ、はぁ……」

 ハンドガンを握ったままの右手が膝に落ち、そのままだらりと肩が落ちた。

 相手はいかにも冷静で、私の悪あがきにも動ぜずに、ただ黙々と丘を越える。どうして度々見失うのか。完全に機械となった銀の身体に、黒いラバーの関節が、意外にも肉感的に駆動している。

 風に煽られ捲くれたマントの隙間には、ベルトに連なった弾薬が袈裟に巻かれ、その背中には針金状のアンテナがのぞく。バックパック型のストレージを排した大型シールド装置、腰に構えたベルト弾倉の機関銃。お手本のようなエネルギー重装型、制圧支援用兵装だった。

 こうしてシールドを張りつづけ、あの機関銃を撃つだけでも、瞬く間に大量のリソースを消費するはず。

 なぜ彼の様な、戦闘特化型の兵装が今になって現れたのか。そしていままで、あの特徴的な絶え間のない発砲音も、聞いたことはなかったはずなのに。

 そして、そこまで考えて、やっと自らの負けを悟った気がした。

 相手はいまのいままでほんとうに、出来る限りの温存をして、ずっとこの時を待っていた。バトル・フィールドが縮小し、生存者が少なくなれば、おのずと戦況は単純化される。純粋な戦闘力がものをいう、ただ力だけの場に還元される。

 彼はあの決してステルスに向いているとは言えない兵装で、ずっと潜伏して待っていたのだ。戦場の動きを読んで、不用意な戦いにあえて背を向け、この戦いの最期の地へと立つために。

 彼のその、大きな黒い機関銃。中学校の吹奏楽部の同級生が、いつか吹いていたオーボエが、大きくなったような見た目をしている。彼はその銃を腰に抱え、たたまれたバイポッドを無造作に握って構えている。

 ブーーーーーッ!!

 私の左後ろから、猛烈な土煙が上がって近づいてくる。まるで目に見えない恐ろしい速さの怪物が、走って襲ってくるみたいに。私は思わず振り向いて、その見えない獣を腕で防ごうとするのだが、そんな行為には意味がない。

 なぜなら私の死は、その背中側から、あのガンナーの銃口から放たれている。

 ドドドドドドドドッ!

 シールドが消し飛び、背中に鈍い衝撃が激しく何度も伝わって、私のアバターはこちらの動作を受け付けなくなった。まるで糸の切れた人形のように、その黄色の大地にパタンと倒れた。


六話へ。

マガジン。

#創作大賞2023

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