来年50歳。今、勉強することが人生で一番楽しい。

 もうすぐ昭和が終わろうとしてた頃、小学生だった私は学校も勉強も好きだった。なにより担任教師が好きだった。上手に褒める、導く、やる気を出させる。注意されることはあっても、素直に聞き入れられる関係を作ってくれた。だから授業は真面目に受け、宿題はすすんでやり、テストの点数も悪くはなかった。でも勉強が好きだというよりも、担任教師の言うことをきき、褒められたかったのだ。勉強する意味は分からなかったけど、しなくてはいけないことはする、そんな感じだった。
 中学に入学すると、勉強は良い点数を取るためにしなくてはいけないことになった。テストの点数は張り出され、教科によって教師は代わり、褒められることはなくなった。勉強して良い点を取ることが当たり前になり、途端に勉強が楽しいものではなくなったのだ。そうして中学で勉強する意味を知る。良い高校に進学するため。女子高の制服が着たいという級友や、放課後に買い物できるような立地の学校にしたい、などと志望校の話になった。そういえば、勉強しろと言われたことがなかった。周りの子達は、テスト前になると、うるさく言われると嘆いていた。私の親はきっとテストの日程すら知らない。もともと通年出稼ぎで、ほとんど家にいない父親は、学校行事にも参加したことがなかった。たまに帰ってきても数日でまた働きに行ってしまうし、思春期を迎えた自分とはほとんど会話すらなかった。でも高校へ行くにはお金がかかると聞いたので、自分だけで決められないと思い、進学の話を切り出した。すると父親は「女はどうせ嫁に行くんだから、勉強なんかする必要はないし高校もいいだろう」と言った。「いいだろう」とは必要ないだろうという意味である。明治大正昭和ならいざ知らず、その時は平成初期である。当時12~13歳の私にも、時代錯誤なことは分かった。でも、よくよく考えたらそれは仕方ないことだった。両親も祖父母も中卒だった。学歴なんかなくても、彼らはきちんと仕事して、子供を養っている。裕福ではなかったけど、生きて食べていくことは出来ている。そして、女は結婚して子供を産み育てるもの、という揺るぎない考え。誰もそれ以外の道があることを教えることも示すこともないのだ。考えを変えることもなく、変わる時代を知らずとも生きてきたのだから。だから、仕方のないことだった。

 それから勉強するのをやめた。もともと苦手だった集団生活にも馴染めず、学校にもあまり行かなくなった。受験勉強する必要がないのだから、行く理由も見つからなかった。親も学校へ行けとは言わなかった。
 そんな私に、3年時の担任が通信制の高校があることを教えてくれたのが救いだった。

「確かに女は結婚して子供を産むだろう。自分もそうだった。でも、だから勉強しなくても良いとは思わない。今は勉強が必要かどうかより、いつか勉強したいと思った時のために高校卒業っていう保険だと思えばいい」年間の学費が12000円だった。その位ならアルバイトして稼げると、当時の最低時給を教えてくれた。強引で厳しいことしか言わない英語の教師だったけど、彼女がいなかったら今の自分はいない。感謝の代わりに、学費をすべて自分のアルバイト代で捻出し、3年で通信制高校を卒業した。一緒に入学し卒業できたのは8人だった。
 そして30年以上も経った今、まるで預言者だったのかと思うほど英語教師の言った通りになった。勉強する意味や必要かどうかではなく、勉強したいことが出来た。そして保険としておいた「高校卒業」が有ったから、大学生になれた。今なら分かる。誰にも勉強しろと言われたことがなかったからこそ、本当に勉強が楽しいと思えるのだ。好きなことだから、勉強が苦ではない。きっと高校の時のように卒業するのは楽ではないだろうが、学びたいことに付随するのが「大学卒業」くらいに思えば良い。あの教師ならきっとそう言うだろう。……だから今、勉強が楽しい。


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