空っぽの私が、空回りしている。
パタパタと準備を済ませて出かける、平日の朝。
花の香りをまとったぬるい空気が、ゆるゆると肌に馴染む。
数週間前まで霜柱が立っていた土の上で、スイセンやビオラが花を開いている。
淡い春色の服。
すっきり小綺麗にまとめた髪。
血色の良いピンク色に塗った爪。
どれもこれも、気分が明るくなる気がしたから身に付けた。
いつもと変わらない、春の風景。
いつもと変わらない、時間の流れ。
そして、いつもと変わらないように見える、私。
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ここ数週間の私の苦悩は、仕事のペースが元に戻らないこと。
そして、それが周囲にはうまく伝わらないこと。
忌引休暇明け直後は、本当にぼんやりしていた。
先ほどまで考えていたことがすぐ頭から消えてしまい、思い出せなかったり。作業に集中できず、気がつくと手が止まっていたり。
心ここに在らず、というのはまさにこういう状態のことを言うのだと思う。
それから数週間経って、職場の様子は普段に戻り、私にも普段通りの対応を求められるようになった。ダメージから回復せず、普段のペースに着いていけないのは、私の心身だけ。
まだなのか、もうなのか、母の月命日が過ぎた。
私の身体は、遠くまで走れるだけのエネルギーも足りなくて、動きをスムーズに繋いでくれる歯車もどこか調子が悪い。まだ、日々もがいている。
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記憶がごちゃごちゃになっている
物事に集中できない
新しいことや複雑なことの思考ができない
母が亡くなった後に経験している、脳のはたらきの変化。
自分でもわからないけれど、気付いたらこうなっていた。
大切な人を1人でも亡くすということは、それだけ大きな影響を与えることなのだと思う。そう考えると自然な変化で、疑問は湧いてこない。
記憶の整理箱は、いつもきちんと引き出しに入っていたのが、衝撃で外に出てバラバラになってしまい、とっ散らかっている感じ。もう一度正しい場所へしまい直すのに、少々時間がかかっている。
物事に集中できないのは、母のことを思ったり、悲しみや寂しさの感情の波が押し寄せたりして、私の身体が他のことに集中したがっているから。パソコンで言うところのCPUに余裕がなくなっている。
新しいことや複雑なことの思考ができないのは、物事や考えを繋ぐ回路のはたらきが鈍っているから。いつもだったら次々と思考が進んでいくフローが、プツリと途中で切れてしまって、広がっていくことができない。
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もうすぐ新年度が始まり、否が応でも、職場では繁忙期だ。
いつまでも気を遣わせるわけにもいかないから、普段通り振る舞おうとする。でも、うまくいっていないのは、自分が1番よくわかる。
けれども、周りの人にはそれが案外わからないらしい。そして、普段かそれ以上の仕事が割り振られる。
あまり良くないループかもしれない。でも、誰も悪くない。
言葉で人に説明しても、個人差がある経験を理解してもらうのは難しい。時期柄、それに対応するだけの余裕もない。
私だって、誰もが経験する可能性があることに、偶然いま向き合っているだけ。
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きっと時間が解決することのような気がしている。
いま私にできることは、ぽっきり根本から折れないように、心身を保つこと。
平穏な日々を自分で積み上げていくことだ。
私はきっと、強がりだった母に似たのかもしれない。
Schönen Tag noch! 😄