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存在だけで素晴らしい

こんにちは。
少し間が空いてしまいました💦

子どもの学校行事が少し落ち着きまして。
その中で、また自分にとって気づきと
学びがありました。
今回はそのことを書きます。

子どもの行事があるたびに
私の目線から感じる
”足りない部分”に目がいってしまう。

この”足りない”と感じる部分が
どういうことなのか。
子育てラボの2年間で頭と体に
しっかり叩き込んだつもりだけど。

子育てラボの2年間とそれまでの
人生とを比べたら当たり前に
子育てラボと出会う前の自分で
過ごした時間が長いので。

当然ながら
頭では理解しているつもりでも
自動的に元々の思考に支配されて
足りないと感じる部分を探してしまう。

とはいえ
子育てラボで心身をみっちり鍛えて
もらったおかげで、時差はあるけど
こうやって自分の思考癖に気が付けるわけで。

このことを知っててやるのか、
知らなくてやるのか。
この差は大きいと思う。

知らなかったら、きっといつまでも
足りないと感じる部分を探し続けて
自分も苦しみ、我が子も苦しめてしまうと
思うから。

その負のループを
回避できるor短縮できる
っていうのは無限ループに陥るより
ずっとマシだと私は思う。

さて、少し話は逸れたけど。
子どもの行事に参加すると
同学年の子どもたちと共に
集団行動ができているか
を見せつけられるわけで。

皆と同じことをする、息を合わせる。
学習目標としての意図も理解できるし
大事な学びなので全く否定はしてない。

単純に、我が子はそういった集団行動が
苦手なところがあってどうしても遅れてしまう。
その遅れが、私にとって”足りない”と感じてしまう正体。

集団から1歩、2歩、遅れをとる
我が子を見て、ただ”遅れてるんだな”
って思うだけでおしまい。

それでいいはずなのに、渦中の私は
遅れてる=✖
とジャッジしてしまう。
このジャッジも私目線でのもの。

こうやって無意識に、自動的に
私の思考がジャッジを始めるから
私の目の前の世界はゆがみ始める。

私から見た”できない”を
”できる”に変えてあげるのが
子どもの幸せになる、と
信じて疑わなくなる。
※この幻想から解かれるまで今回1週間w

別に子どもが困ってるわけでもないのに
子どものやることにアレやコレやと
手出し口出し・・・

私も体育会出身の暑苦しいタイプなので
いちいち執着して自分も力みだす🤮🤮🤮🤮
(書いてて恥ずかしすぎて爆笑するわw)

そんな時、やっぱり心と体は正直で。
”おいおい、やってること考えてること変だよ”
ってことを必死に教えてくれたおかげで
親子で仲良く鼻風邪にかかって発熱。(コントかよ)

強制終了がかかって、床についてる間
これまであったことを思い出す。
それと、目の前の子どもたちの暮らしぶりを
丁寧に見つめる。

そこでやっと原点に戻ってこれた。
存在だけでもう素晴らしい。
何かが出来る、出来ない、じゃない。
命があって自分で手足を動かせる。

誰かと比べるではなく
子どもたち一人一人が自分の意志で
色んな事を考え、選択し、行動している。
それって本当に凄いこと、尊いこと。

こんなに大切な事、どうして簡単に
忘れるんだろうな、自分は。
暴走したから、体が強制終了かけてくれた。
一回止まって考えろ。

生きるって凄いな、本当。
心と体は決して間違わない。
どんな時も自分に必要なことを
教えてくれるから。

心と体の声を聴く。
つまり、自分を知るってこと。
どんなことも答えは自分の中に在る。
目の前の現実は自分の思考を投影してるだけ。
(スピリチュアルではありません)

大事なことを忘れるな。
見つめるところはそこじゃない。
また改めて気づかされました。
本当に子育ては自分育て。

子どもってあの手この手で
大人の真の課題を見せてくるよね。
一生向き合っていくこと、終わりはない。
こんなに自分のことで悩めるって幸せな人生だな。
(はい、変人)

まとまりなさすぎるんですが
この辺で。(締めが毎回雑すぎる)
では!!


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