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好きなものを「好き」といえる、わたしでありたい

会社に、ムーミン好きな後輩がいる。

デスクトップ画像をムーミンにしてたり、デスクにムーミンのフィギュアをおいてたりする。「ムーミン好き」と自身でも言っている。


その子を見ていて、「ああ、わたしも以前、ムーミンが好きだったな」と思い出した。

スマホのケースをムーミンにしていたこともあるし、ムーミンのコップを愛用していたこともある。

いまも、ムーミンは好きだ。
不思議な生き物たちが生きる、独特な世界観。友達想いの優しいムーミン・トロール、自分の世界を持っているスナフキン、芯がしっかりしているミィなどの、個性的なキャラクターたち。

けれど、昔ほど「ムーミン好きです」と周囲に言ってない。ムーミンのグッズも古くなるか割れるかして、身の回りからなくなってしまった。

「ムーミン好き」と言わなくなったきっかけは、明確にある。
今思えば、ほんとうにささいな出来事だった。

仲のよかったサークルの友人と、スマホケースについて話していたときだ。
まわりをちょっと緊張させるような美人な子で、思ったことをズバズバ言うタイプだった。普段の服装や持ち物からは、センスの良さが感じられた。
あるとき、自分が持っていたムーミンのスマホケースが剥げてきたので、つぎのスマホケースを検討していた。「次もムーミンにしようかなあ」部室でその友達に言った。
わたしにとって、ムーミンは、「ハズレがない」存在だった。中途半端に柄がはいったスマホケースは、買った当初は気に入っていても、すぐに飽きることが多かった。わたしはとくに昔の絵柄のムーミンが好きで、絵本の挿絵のように味があるムーミンならば飽きずにいつまでも見ていられる。

「次もムーミンにしようかな」と言ったわたしに対して、その子は「ふうん」とちょっと冷たい目をした。そして、ムーミンにふれることなく、話題をそらした。うしろにクレジットカードいれられるやつとか便利だよ・・・。

なるほど、この子はムーミンに興味がないのか、と理解した。

世界中の全員がムーミン好きだとは、これっぽっちも思っていない。けれど、わたしの周りのひとたちは優しいのか、わたしがムーミンを好きだというと「ムーミンかわいいよねー」と返してくれた。
仲のよい人から、こんなにあからさまに無関心を示されたのは、初めてのことだった。

それから。

今まで好きだったムーミンが、子供っぽいものに見えてきた。「ムーミンが好きです」というと、幼稚だな、と思われそうで、言うのがためらわれた。そして、ムーミングッズを買うことはなくなった。

決して、ムーミンが悪いわけではない。ムーミンは年齢関わらず多くのひとに愛されているし、実際とても魅力的だ。ムーミンが悪いのではなく、ここで注目すべきは、他人に言われたからといってコロッと自分の価値観を疑ってしまった私だ。


この話から5年以上が経過し、わたしの精神もだいぶ図太くなった。
他人から冷たい目を浴びせられた程度で価値観を変えてしまう、繊細な少女のわたしは、すっかり影を潜めている。否定されたり、興味をもってもらえなかったりしても、「ふーんこの人はそうなのね」くらいにしか思わない。

年齢を重ねることは、楽しいことばかりではない。
嫌なことも、当然起こる。

でも、好きなものを、胸を張って「好きだ」といえる自分になったこと。
年齢を重ねてからできた、自分の好きなところだ。

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