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日本画は終わり始まり

2023年7月に書き置いていた文章を修正しながらここに記事を解き放つ。


何があってもどこに居ても、何をしていても、私にとって全てが日本画につながっていて、描くことは全てだ。
日本画とは展示する空間そのものを転換する装置の役割を持つもので、観ることで何かを受け取ったり、言葉にして話したり、と作品は観者にとってのきっかけでしかない。

はじまりの一歩。
大切なこの展覧会に私は何を描くのか。
いつものことではあるけれど、展示の予定が決まると何を描こうかとそればかりを考えている。


2023年6月に開催されたas日本画展は恩師の日本画研究会の方々との初めてのグループ展だった。グループ展自体は恩師が元気に活動されていた頃に一度お休みすることになってから長い間休止していたそうで、恩師の旅立ちをきっかけに再開しようと友が動いて実現したものだった。私は研究会で学び始めて日が浅いため、経緯は後から少しずつ知ったのだけれど、どんな物事も年数ではなく想いや関係の深さによって響きあうものだと改めて思う。
恩師だけがその場に居ない。何度集まっても恩師だけが。その元気な声を聞くこともない。そうなってようやく存在の大きさに気づく。どれだけ恩師に頼りきりだったか、心を支えられていたのか。日本画も恩師もその世界に境がないような溶け合ったところにずっと浸っていたんだと今になって思う。


遡ると日本画との世界の始まりは母校の構内、日本画学科の学生達がお世話をしている鳥達の住む百日紅の木のある庭だった。
在学中から夏のスクーリングでその辺りをうろうろとクロッキー帳をかかえて歩き回っていた。木の近くに鳥小屋と池がある。
卒業してからのある日、ふとその百日紅の木を見上げたらなんとも素晴らしい枝ぶりで、まるで紅の雲のように花が咲き乱れていた。
何日間か通い詰めてデッサンした時、ちょうど夏のスクーリングで日本画の恩師達は授業の学生を指導して回っていて、ついでに私のところにも立ち寄ってくださった。ある先生は「君にはそうやって情感で描くことが必要なんだね。最後はフォルムの美しさに還っていく。自然の生み出すフォルムってやっぱり美しいものだね。」といつものようにかっこいいセリフを残してさっと歩いて行かれた。
写生も最終日となった午後に構内の庭師のおじさんにも出会った。「良い枝ぶりですね。」と話しかけたら、おじさんは「ちょうど明日剪定するんだよ。」と教えてくれた。
それを聞いて、こんなに綺麗なのは今最も輝いているから、だからここを描きたいんだなあと、帰宅時間までの残り数時間、一葉も残さないようにと描き続けた。大きな画用紙を何枚もつなげて必死になって追い続けた枝と花、木の幹、どの部分もいつ見直しても愛おしかった。
その木を日本画にとエスキースを練って練って温めてもう10年は経っていた。
今回の展示の持つ原点に還ってまた生まれ出るようなイメージに、母胎の温かさ、この百日紅の枝の揺れるあの庭が重なった。


(以降展覧会での作品写真と描画法についてテキストを少し掲載しました。写真等を保護するために有料といたします。いただいた料金は作品展示やワークショップ等に活用いたします。)

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