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中央線で思い出す人生の目的

リュック1つで帰京した。

1人で中央線に乗るのは約6年ぶり。

電車の窓が開いている。

そういえば地下鉄も窓が開いていた。

静かに開いたそこから外気とともに電車の走る音がものすごい音量で車内に響く。

昔ながらのガタンゴトンの音にシュルシュル、キーキーと不思議な電子音が混ざり合う。電車同士がすれ違う度にボフッと外気が入り込む。

音楽を聴かなくても、この音だけで十分楽しめる。


電車を乗り降りする見知らぬ人々もみんな元気そうでよかった。まさに人ごとながらも、心からそう思う。

そっと優しそうな親子の隣に座ってそこに居るだけで、懐かしくて涙が出そうになる。


武蔵野台地に向かって、オレンジ色と一体化する。


私は東京育ち、小さな頃は武蔵野台地の黒い土の上で元気に走り回り、中学高校は都会に通学しながら乙女らしからぬ学業主体の生活をしていた。

もう遠い昔の話になるが、毎朝遅刻ギリギリで家を出て、激チャ、乗り換えは猛ダッシュ、駅から学校までも中距離マラソンの如く走り抜けていた。学校でも家でも勉強するのが当たり前、図書館は中高一貫だからか難しい本ばかりで、借りても睡眠導入剤にしかならなかった。

5科目の中で数学だけは好きだから、自分ではデキるつもりだったが、今思えば、数字やアルファベット、記号が並び、変化していく様子が美しくて好きなだけだったのだと思う。ただ数字とアルファベットを書き連ねる美しさを追うために猛烈に問題集を解き続けていたのだろう。そこまですれば凡人でもそれなりの点数は取れる。

数学、古文、哲学、生物、体育、美術、音楽。

それらの世界が持つ美しさをどことなく感じる時間が東京砂漠での暮らしを支えてくれた。

小さい頃からずっと美しいものが好きだった。

美しいとは何か。

それが私の人生のテーマだと中学生くらいからずっと思っていた。

大学で論文を書いた時も、社会人として仕事の中で見た美しさも、日本画を描くことで全てがひとつになり、広がっていった。

ひとつのことを極める美しさは素晴らしいが、それが全てではない。アプローチは三者三様で、自分なりの道を歩いていけばそれでいいのだ。

美しくないものは結局この世に存在しないといえばしないし、存在していると感じるのは存在させたいという主観からくるものだとも考えられる。どちらが正しいということもなく、全てその人によるというだけのこと。

自分の周りで起こっている現象は全て自分自身を表すもので、誰によるものでもない。

それに気づけて、やっと次の段階に進めた気がする。

またひとつずつカタチにしながら、今ここにある美しさを感じていきたい。




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