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パンデミックと母

 二〇二〇年三月十八日、大学病院に入院中の母のベッド横にいると、看護師が一枚の紙を持ってきた。「新型コロナウイルス感染症対策に係る『面会禁止』のお知らせ」と書いてあった。十九日より当面の間、面会は原則禁止、面会できるのは入退院時、病状説明時と手術日のみ、洗濯物などの受け渡しは一人かつ五分程度とします、という内容だった。

 七十九歳の母は卵管がんが再発し、昨年三月から入院していた。初発は十七年前。再発は三度目で、今回は腹膜播種があるため、手術はできなかった。抗がん剤治療を行ったが、体力が落ち、腸閉塞が悪化したので、主治医からホスピスの話が出始めたのは昨年七月のことである。「残された時間を緩和ケアのみを行って有意義に過ごす」という選択肢を提案された母は「治療をしないという選択肢は考えられません」と言って断った。

 その後、ホスピスへの転院打診を何度か挟みつつ、抗がん剤治療は行われた。が、今年四月、主治医はついに母に治療終了を告げた。直近の投与効果が表れず、これ以上の治療は逆に命を縮めることになるからだった。母は「治療しなかったら悪くなるじゃないですか。納得できません」と抵抗したが、主治医は「今回ばかりはもう無理です」と言った。

 翌日、私は「昨日はお疲れ様」とご機嫌伺いのメールを送った。すると、「いよいよお別れのときが来たようなのでK病院よろしくお願いします」という返事が来た。K病院とは私が昨年相談に行ったホスピスである。母が入院しているのは四人部屋だが、ホスピスなら個室だし、今は急性期病院ゆえ医師も看護師も忙しいが、ホスピスなら時間をかけて対応してもらえる。面会人も来やすい。私は良かったと思った。同時に、さすがの母も観念したのかとかわいそうにも思った。手続きをすると、思いのほか早く日取りが決まり、母は五月十二日、転院した。

 が、トラブルはすぐにやって来た。がんの終末期に過剰な輸液(栄養)を入れると、死期を早める上に苦痛が増すことは多くの論文で報告されている。だからK病院も、できるだけ輸液を減らし、なるべく口から氷やかき氷などで水分を採ったり、食べたい物を食べてもらったりするという方針を取っている。でも、母は「輸液を減らしたら栄養がなくなって死んでしまう」と言う。そう言えば昨年、ホスピスの話をした際も、母はそう言って憤慨していた。しかし、ホスピスに移ったのに、まだそれを言うとは私は思っていなかった。ここで患者と決裂するのは良くないと、医師が「ではこれまでの半分の量にしましょう」と妥協策を取ったが、それでもまだ多いからか、嘔吐がひどくなった。

 コロナ感染防止のため、面会禁止なのはホスピスも同じだったのも閉口した。本人は「別に会いたい人はいない」と言うが、私としては友人たちに来てもらい、個室で自由に話せれば、母の気分転換になるのではないかと考えていたのだ。が、面会できるのは私と高校三年生の私の娘だけで、時間は十五分。病院によっては全く会えないまま家族が死を迎えるケースもあるのだから、恵まれていると言えるだろうが、死を前にイライラした母は「このままでは私は栄養を減らされて死んでしまう」とか「もう来なくていい」などと孫に言って、泣かせてしまった。

 前の主治医が言った「有意義な時間」とはかけ離れた状態になった。転院しなければよかったのか、どうすればよかったのか……。

 私はK病院に呼ばれ、若い女性医師から「お母様はご自分のことをどう考えているのでしょうか」と聞かれた。「分かりません」と答えるしかなかった。やせ衰えた体で嘔吐するのはとても苦しいはずだが、母は「もうこのままでいいから放っておいて」と医師に言ったそうだ。構わないでくれと患者に言われた女性医師は自信を失った顔をしていた。私は言った。

 「今までと同じ量ですよと言って、本人の了承なしで輸液を減らすことはできないんでしょうか? 水で薄めるとかして」

 女性医師はおびえた顔になり、「お母様は、頭はしっかりとしていらっしゃるので、もしもその嘘がお母様に分かってしまったときのスタッフの精神的負担を考えますと……」と言って口ごもった。

 死の間際で、ここまで人をおびえさせる母はやはりすごいと私は思った。もうお別れが迫っているのに、殺人教唆のようなことを言う私も頭が狂っている。私の夫は長年、私に「なんでこの年になっても母親にビクビクするの?」と言って不思議がってきたが、私は「ほらね」と言いたい。

 大学病院にいたとき、クリスチャンの友人が母に聖書や「心をいやす五十五のメッセージ」という本を差し入れしたが、母は「枕元にこれを置いていたら、私が心をいやしたいと思っていると看護師に思われるからいやだ」と言って私に持ち帰らせた。私は「心をいやす五十五のメッセージ」の著者が「人は生きてきたように死んでいく」と書いているのを見たことがある。この言葉を聞いたら、母はきっと「余計なお世話だ」と怒ると思う。

 母との付き合いがもうじき終わる。

 終わってしまったら、私の生活は刺激がなくなって、つまらなくなるのかもしれない。

                (黒の会手帖第9号 2020・6)

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