「スペシャルアクターズ」
大ヒット「カメ止め」の次=上田慎一郎・映画監督/764
2019年10月15日
昨年、製作費300万円ながら興行収入31億円超のヒットとなった映画「カメラを止めるな!」。その上田慎一郎監督の劇場長編第2弾「スペシャルアクターズ」が10月18日に公開される。撮影前、上田監督を待ち受けていたものは──。
(聞き手=井上志津・毎日新聞記者)
「大スランプを乗り越えて自信作をお届け」
「いとしいキャラクターを描けた。自分の好きな仲間と映画を作れることが一番のご褒美」
── 長編第2作目「スペシャルアクターズ」は、昨年公開の第1作「カメラを止めるな!」(カメ止め)と同じく、オーディションで役者を選抜し、ワークショップを経て、その役者に合う物語を作るという形で作られたそうですね。
上田 昨年12月にワークショップの開催を告知し、1500通を超える応募がありました。書類選考で200人に絞り、今年1月のオーディションでさらに50人に絞り、2月上旬にワークショップ形式でのオーディションを行って、最終的に15人を選びました。
無名の役者ばかりです。美男美女ではなく、不器用だけど人間としての個性が魅力的な人を基準にしました。主人公・和人役の大澤数人さんなど、この10年間で3回しか芝居の仕事をしたことがなかったとか。これまで両親さえも役者をやっていることを知らなかったそうです。
(「スペシャルアクターズ」は松竹のグループ会社「松竹ブロードキャステ ィング」の「オリジナル映画製作プロジェクト」第7弾として製作。低予算ではあるがオリジナル脚本を重視した作家主義とワークショップによる俳優発掘を掲げ、2013年に始まった。これまで「滝を見にいく」(沖田修一監督)、「恋人たち」(橋口亮輔監督)などで日本映画界に新風を吹き込んできた。当初からプロジェクトを手がける深田誠剛プロデューサーが上田慎一郎監督に第7弾の企画をオファーしたのは、17年11月に6日間だけイベント上映された「カメ止め」を見た直後のことだった。)
ひたすら散歩ばかり……
── オファーが来た時はどんな気持ちでしたか。
上田 沖田さんとか橋口さんとか、好きな監督がラインアップされてきたプロジェクトで、僕も見ていたので、願ってもないと思ってすぐ受けました。「やります、やります」と。
── でも、すぐに始まるはずだった企画は昨年6月に「カメ止め」が封切られると止まってしまいました。
上田 「カメ止め」の上映館は初めは2館だけでしたが、SNS(交流サイト)や口コミでブームになるにつれて100館、300館と広がっていきました。毎日、何かしらビッグニュースが入ってくるような日々で、目の前のことに対応するのに精いっぱいになってしまいました。それで、プロジェクトの企画をじっくり考える時間がなくなってしまったんです。
── 次回作のオファーも殺到したので、深田さんは「もしも上田監督がもっと予算が大きい企画やメジャー作品を次回作として選んでも、状況が変わったから仕方ないと思った」と話していました。
上田 新たに来たオファーを先に、とはまったく思わなかったですね。先に約束しましたから。それに、「カメ止め」はほぼ自主映画の体制だったので、いきなり次にメジャーの配給会社に行くよりも、インディーズとメジャーの間ぐらいの規模である松竹ブロードキャスティングのプロジェクトで、自分らしい映画を作るべきじゃないかなと思ったのも理由です。
── 「スペシャルアクターズ」の企画はようやく昨年暮れに始動しました。でも、今度はプレッシャーで脚本が書けなくなったそうですね。
上田 大スランプに陥りました。「カメ止め」を超えなければいけないという想像以上のプレッシャーで……。初めての経験でした。周りの人たちが心配するほどでしたね。アイデアに行き詰まるといったレベルではなくて、もう考えることができないぐらいの精神状態でした。ひたすら散歩ばかりしていました。あとは「大ヒット作を飛ばした人の次の作品ってどんなやったろ」って検索したり(笑)。
ある時期までは「ポンコツ超能力者5人が世界の危機を救う」というプロットで進めていたんです。でも、どうしても面白くなりません。これでは映画にならないと思い、「企画をゼロに戻したい」とスタッフとキャストに言いました。それが今年3月のこと。その時点で5月のクランクイン予定日まで2カ月を切っていましたから、もう気絶しそうでした。
独学で自主映画を撮影
── 乗り越えられたのは。
上田 「ゼロに戻したい」と言った日の夜、深田さんから長文のLINEが届きました。「サザンオールスターズの桑田(佳祐)さんはデビュー作『勝手にシンドバッド』が大ヒットした後、大きなプレッシャーに苛(さいな)まれたそうです。結局、2曲目の『気分しだいで責めないで』は『勝手にシンドバッド』を超える大ヒットとはいきませんでした。3曲目が(再び大ヒットした)『いとしのエリー』です。でも、必要な2曲目だったんです。うちは2曲目になってもいい。上田さんの好きなものを創ってください」。感動しましたし、「カメ止め」を超えなきゃという呪縛から離れられました。
── その後、「一緒に考えてほしい」とキャストからアイデアを募りました。
上田 他の商業映画だとスタッフだけで解決するんでしょうけど、キャストも一丸となったチーム体制だったので、みんな企画会議に参加していろんなアイデアを出してくれました。その中から「詐欺」「カルト集団」といった作品のキーとなる言葉も登場し、「1人の売れない役者が緊張やプレッシャーで気絶しそうになりながら奮闘する話」が生まれました。脚本の初稿ができたのは4月16日。この時はまだ粗い出来で不安でしたが、10日後に2稿を書けた時、「ああ、やっと自分らしい、面白そうなものになったな」と手ごたえを感じました。監督補と宣伝デザインを担当した妻で映画監督のふくだみゆきをはじめ、相談できる仲間がいたから乗り越えられたと思います。
── ご自身にとってどんな映画になりましたか。
上田 今回も「カメ止め」同様、誰も知らない役者ばかりですけど(笑)、彼らと一緒に駆け抜けた時間を記録したドキュメントというか、何度も見返したくなるホームビデオのような映画になりました。いとしいキャラクターがたくさん描けたと思っています。「カメ止め」もそうですが、ヒットするかどうかとか、偉い人がどう言うかとか、そういうことを抜きにして、完成した時にこれを作ってよかったって思える作品になったので、胸を張ってお届けできる作品です。
(中学時代に実家のハンディカムで自主映画を撮り始めた。高校卒業後も独学で映画を学び、09年、映画製作団体「PANPOKOPINA(パンポコピーナ)」を結成。7本の自主映画を監督し、国内外の映画祭で20のグランプリを含む46冠を獲得した。劇場用長編デビュー作となった「カメ止め」は、監督&俳優養成スクール「ENBUゼミナール」が主宰したワークショップの一環として製作。予算300万円ながら、伏線を巧みに回収していくストーリーや、無名の新人俳優が繰り広げる躍動感あふれる演技などが大きな評判を呼び、興行収入は公開から24週で31億円を突破した。)
「鼻を押さえようと」
── 「カメ止め」のギャラは、当初はワークショップの講師料のみだったとか。
上田 はい。映画を作る監督料という感じではなかったですね。でも、ヒットした後に特別報酬が出ました。僕にとってはすごく満足できる額でした。特別報酬はスタッフ、キャストそれぞれに出ました。他の人の額は知らないんですけど。「スペシャルアクターズ」のギャラ? こちらも満足できる額です。はい。
── 「カメ止め」のヒット後、日常生活は変化しましたか。
上田 変化しましたね。今年8月、東京の23区外から23区内に引っ越しました。都心での仕事が多くなったので。部屋が広くなりました。賃貸です。これ以上は言いません(笑)。僕は物欲がないので、お金はあまり使わないんですよ。服は同じものを毎日着ていますし、靴もずっと1足しかなかったんです。2足ある方が持ちがいいと聞いて、最近2足にしたんですけど。食べ物もこだわりません。妻も物欲がないのは同じです。でも、僕があまりにも映画のこと以外ないがしろにしているので、そういう面では妻から時々、小言を言われます。2歳の息子がいますが、育児も妻任せになってしまっていますしね。
── トレードマークのボーラーハットはおしゃれに見えます。
上田 これは「カメ止め」でメディアに出ることが多くなってから、かぶり始めたんですよ。僕、天然パーマなので、整髪が面倒くさいんです。結局、帽子も今のこればかりかぶっていますね。選ぶことに負荷がかかるんで……。
── ヒットすると「てんぐ」になる人も珍しくありません。
上田 ならなかったですね。有名になりたいとかお金がほしいっていうのも、もちろんないことはないんですけど、僕にとっては自分の好きな仲間と好きな映画を作れることが一番のご褒美なので。あ、でも鼻を押さえようと思ったことは何回かありました。
自主映画って、映画祭が地方であったりすると、自分たちで電車に乗って、会場まで歩いて行きますよね。でもヒットの後は新幹線のチケットを取ってもらえて、ジャンボタクシーみたいので輸送してもらえて、ホテルに泊まらせてもらえる。「わー、ジャンボタクシーや」「ホテル、めっちゃきれい」って驚いている時が一番幸せだと思うんで、これが「まあまあのホテルやな」となってきたら人生が楽しくなくなりますよね。だから、当たり前やと思ったらあかんなって思っていました。
「好きなものを作れ」
── 今後の目標は。
上田 ここ数年はいろんなことに挑戦してみたいと思っています。今までは脚本、監督、編集を自分でやってきましたが、脚本を誰かに書いてもらうとか、編集は誰かにやってもらうとか、自分との掛け算でできた映画を作りたいです。「スペシャルアクターズ」の後のことで言えることはまだないですが、すでに決まっている次回作では、製作費の予算がもう少し大きくなります。
── “映画愛”にあふれることで知られる米映画監督のクエンティン・タランティーノさんが今年8月、来日した際、対談してメッセージをもらったそうですね。
上田 今、自分の中には「カメ止め」「スペシャルアクターズ」と続いて、今後、どう進んでいくべきかという迷いがあるんですが、タランティーノ監督は「自分が作る理由がしっかりしていないとダメだよ」と言ってくれました。自分にとって良い理由でないといけない、つまり自分の好きなものを作れということですね。
文章にすると月並みに聞こえるかもしれないですけど、タランティーノ監督が言うと深みが違うじゃないですか。彼が体現していますよね。30年ぐらいかけて、まだ9本しか撮ってないんですから。ノルウェーのエリック・ポッペ監督(「ヒトラーに屈しなかった国王」など)も「自分もハリウッドとかからオファーをもらうけど、自分の作るべき理由がない作品は作れないから断っているんだ」と言っていたんです。だから、ちょっと立ち止まれました。
自分の好きなもの、撮りたいものはこの先、変わるかもしれませんけど、泣きか笑いかでいったら笑いを作っていきたいです。お客さんにとにかく2時間楽しんでもらえるものを作っていきたい。その中で自分の伝えたいことがにじみ出てくるのが理想です。
●プロフィール●
うえだ・しんいちろう
1984年生まれ。滋賀県出身。中学生の頃から自主映画を製作し、高校卒業後も独学で映画を学ぶ。2015年オムニバス映画「4/猫」の1編「猫まんま」の監督で商業デビュー。18年劇場長編デビュー作「カメラを止めるな!」がヒット。今年8月、中泉裕矢、浅沼直也との共同監督作「イソップの思うツボ」が公開。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20191022/se1/00m/020/006000c