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固い殻

その日を境に、彼女はクラスから姿を消した。



親は兄に高望みをしすぎた。
長男でもあり、反抗期もなく従順だった兄に期待を寄せすぎていた。兄は、公立の受験に失敗した。私立に通うことになり、両親ともに体に問題を抱える我が家の家計は火の車だったのだろう。私の高校受験は、兄の犠牲になった。

偏差値を無理やり下げさせられ、望んでもいない高校を受験させられた。泣いて何度も頼んだ。行きたい高校に合格するんだと勉強に励み、手応えを感じていた矢先のことだった。

15で、自分の思いだけではどうにもならない現実があることを知った。

それからは勉強をやめた。合格しようが落ちようがどうでもよかった。

実際、試験は超簡単だった。
白紙で出すという考えは持ち合わせていないため、目の前に出された問題には全力で取り組んだ。試験の最中から合格を確信していた。


行きたくなかった。
あの高校に行くことを認めたくなかった。
制服の準備やらなにやら、新生活にたくさんの希望で胸弾ませるはずの毎日を、私はずっとふてくされて過ごしていたように思う。

生きながらも心が止まっていた私は、高校になんの期待もしていなかった。

そんな私の凍った心を、高校で出会った全ての人たちが溶かしてくれた。私の心を大きく動かしてくれた。穏やかな空気に満たされた場所だった。それまで経験したことのない、誰かを想う優しさに溢れていた。
私の大きな転換点になった。


中学はぎすぎすし、私も全身から棘を出していた。

ある日突然、友達がグループからつまはじきにされた。何がなんだか分からなかった。だけど、私は彼女に寄り添えなかった。距離を置いてしまった。だが、何のことはない。次のターゲットは私になった。

グループに属すということが苦手だった。でも、学校という閉鎖空間の中では、どこかに属さなければ生きていけない、あの頃の私はそう思い込んでいた。

豪快で快活な部活の子に話したことで、その事実が大きく広がり、その状況はあっけなく終わりを告げた。彼女から他の子へ、その子からまた他の子へと、どんどん輪は大きくなっていった。私の落とした一滴のしずくが、大きな波紋となり広がった。

始まりと同じく、ある日突然、彼女たちの態度がくるりと変わった。そう長い期間ではなかった。彼女たちにとってはゲームだったのだろう。いま振り返ってみると、もしかしたら親の仕事が関係していたのかもしれない。ターゲットになった私も友達も、公務員の娘だった。

私と友達は、そのグループを出た。

彼女たちから謝罪などない。なぜ、あのような態度に及んだのか説明もない。何事もなかったかのように接してくる彼女たちを信じることなどできるわけもない。私は冷めた目で、彼女たちを見ていた。

ほんのわずかな期間だったこと、他のクラスに仲の良い友達がいたこともあり、大きな傷となって残っているわけではないが、あの事実を今でも忘れてはいない。思い出すたびに、彼女たちが報いを受けていることを願わずにいられない。

そして、その時に学んだ。
広く、たくさんの人と繋がっていなければいけないと。と同時に、私の心は、私を守るために殻をかぶった。



彼女とは、席が前後だった。

高校に入学し、右も左も分からない、初めての人だらけの場所。誰を信じていいのかも分からない。誰もがさりげなく相手を品定めする時間。自然と席が近かった彼女と話すようになったが、中学の経験から、私は心をひらくことができなかった。

彼女はいい人だったが、どちらかというと地味な人だった。場の空気を掴む人と仲良くならなければいけない、たくさんの人と仲良くならなければいけない。それが、私を守るために必要なこと。あの頃の私は、その思いにとらわれていた。

席替えで席が離れてからは、彼女との関係も次第に距離があいたように思う。その頃には私にも、他に仲の良い友達ができていた。

彼女のことを忘れて、私は私の高校生活を楽しんでいた。

あれほどいやでいやで仕方なかった高校だったが、それまでの私には見たことのない、たくさんの世界を見せてくれる友人で溢れていた。棘はどこにもなく、優しい空気で満ちていた。あたたかさが心地よかった。その世界に私は魅了され、彼女のことを考えることすらなくなっていた。


ある日を境に、彼女は学校に来なくなった。

しばらく休みが続いたある日、担任に言われた。

「彼女、やめちゃうかもしれない」と。

私たちになにか出来ることはないかと考え、みんなでそれぞれ手紙を書いた。家に届けたのか、届けてもらったのか覚えていないが、経験値の低い私たちには手紙を書くことが精一杯だった。自分たちの毎日を楽しむことに手一杯だった。

彼女は一年休学し、復帰した。


彼女の不登校が公になった時、担任に言われた言葉が、その後も私に重くのしかかった。

「あなたともっと仲良くなりたかったのよ」

彼女が言ったのか、それとも担任の思いなのか。私には確認する勇気がなかった。その言葉を聞いた瞬間、心がひゅっと縮んだ。

まだ16にも満たない未熟な私には、あまりに重い言葉だった。誰かの人生を背負うことなど、私にはできなかった。


それ以来、私の心は固い殻で何層にも覆われている。

中学の経験で薄い殻をまとい、高校の担任教師の一言で固い殻に成長してしまった。

大人になってからは、一匹オオカミや秘密主義などと言われるようになった。どこのグループにも属さない。女性の口は見事なまでにぱかぱかパカパカ軽やかに動くので、簡単には信用しない。なるべく自分のことは話さない。
誰かといて傷つくよりも、一人の方がいい。

一人なら無意識に誰かを傷つけることも、誰かに傷つけられることもない。私は私を守るために、重い鎧をまとってしまった。


誰かのために手を差し伸べることが自然と出来る、心根が優しい人たちが集まった高校だった。毎日笑いが絶えず、のどかな時間が流れていた。誰かが悩んでいたら、みんなで一緒に真剣に悩むことのできる人たちだった。誰かの問題を自分の問題として受け止めることのできる人たちだった。

私のいた中学がおかしかったのか、それとも中学というのはそういうものなのか。思春期での競争は、心を失くさせてしまうのだろうか。

心を失くしていた私は、高校で人としてのあり方を学んだ。付き合い方を学んだ。あの高校に通っていなければ、心のない冷たい人間に私はなっていただろう。


今でも考えることがある。
あのとき、私は彼女のために何ができたのだろうと。彼女は私に本当に助けを求めていたのだろうか。今の私だったら、どうするだろうかと。
どこかで私は、あのときの自分を許すことができていないのかもしれない。

誰かを想う。
誰かに想われる。
簡単そうに見えて、簡単でない、複雑な心が絡み合う。人の心は見えないから、行き違いが生じてしまう。

ちょっとした一言で、関係に取り返しのつかない傷が入ってしまうこともある。言葉は誰かを守る頼もしい武器になる反面、誰かを暴力的なまでに傷つける野蛮な武器にもなる。


担任の言葉が事実だったとしても、私にはあまりに重すぎた。大きくなった今でも負担となり、心に影を落とす。

私の固い心の殻は、もう破れない。
私は私を守るために、殻をかぶり続ける。

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