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今日も焼きそばを食べる

私は、今日も焼きそばを食べる。

秘伝はない。
隠し味も裏技もない、なんの秘密もない、ありきたりな焼きそばを。

みんなが大好きな卵の王道「目玉焼き」?
面倒くさい。
肉?
解凍していない、ましてや一人のお昼にお肉は贅沢。
天かす、紅ショウガ、青のり?
ない。

冷蔵庫をあさり、出てきたキャベツ。お正月休暇でゆっくり休まれたことだろう、そろそろ私のために働いてもらおう。あとは、玉ねぎだけか……。

今日の焼きそばは、てんこもりキャベツと玉ねぎだ。


お昼の焼きそばは、たいていレンジでチン。

お皿に麺を入れ、上に粉末ソースをまんべんなく振りかける。麺はほぐさず、袋から出した四角い塊のまま。そして、火が通りやすいように小さくざく切りにした野菜たちを、麺を覆うように重ねていく。
野菜の上に粉末ソースをかけた方が野菜が早くしんなりしてくれるだろう。でも、ラップにソースがついてしまうのがもったいない。
さらにお得なことに、この方法だとラップはきれいなまま。手も汚れない。

ラップをして、とりあえず2分半ほどチン。

火の通り具合を見て追加であたためる。電子レンジが古いから、あたために時間がかかる。
水は入れない。その代わり、葉物など水分が多く出る野菜をたくさん使う。麺の上にかぶせた野菜から出た水分を麺が吸い、いい感じに仕上がる。

後は混ぜるだけ。

10分もかからずに出来上がる、お手軽焼きそば。
気が向いたらマヨネーズにおかかをかけて、豪華焼きそばに大変身。


焼きそばにはまり、作り方を研究した時もあった。

まず、麺をレンジでチンしてほぐす。そして麺だけを、多めの油で炒める。このとき水は入れない。軽く炒めたら取り出し、次に野菜を炒める。野菜に火が通ったら炒めた麺を戻しいれ、粉末ソースを麺全体に絡ませる。粉末ソースは麺にかけることがポイント、と誰かが言っていたので、その言葉を信じて守り続けている。麺とソースが馴染んだら、野菜と手早く混ぜ合わせる。

きちんと作るときは、この方法でやることが多い。好きなかた焼きそばに近づけるよう、麺に焦げ目をつけるようにする。そして、気力があれば目玉焼きも添える。


それでも、水を入れないことだけは譲れない。お手軽焼きそばのために、わざわざ軽量カップを出して測るなんて洗い物が増えるじゃないか。
どうして簡単なものは洗い物が増えるものばかりなのだろう。生ラーメンやパスタもそう。作る手間は省けても、流しを見てげんなりする。

ずぼらになった私だが、まれに気が向いて書いてある通りに作ることもある。でもやっぱり、ずぼらはずぼら。適当。
麺が入っていた袋に適当な量の水を入れ、麺のほぐれ具合を見て調整する。足りないかもと思い多めに入れてしまい、何度も失敗した。べちょべちょの失敗作にならないよう、ここだけは慎重に少しずつ。


以前、麺の袋にメモリが書かれていたような……?
昔の私はきちんとさんだったので、その意味が分からなかったが、今ならよく分かる。
同士よ、手をつなごう。


鍋にメモリが欲しい。
バルミューダの電気ケトルには、最低の200と、上限の600しか記されていない。100刻みでメモリが欲しい。

ついでに言えば、カップラーメンの追加具材の別売りが欲しい。メーカーは一回分ずつの子袋をすぐ発想するだろうが、そんなゴミの方が多いものはいらない。大きい袋にチャックがあれば便利。なくても輪ゴムという文明の利器がある。輪ゴムで口をしばるという知恵もある。なんの問題もない。

具材をどうするか。
これは悩ましい。
一袋に混ぜてしまうか、それとも単品にするか、これは大きな問題だ。
次に本題の具材。
野菜があれば嬉しいが、ネギはいらない。乾燥ネギはおいしくない。他は、卵、豆腐、わかめ、とうもろこし、なると、油揚げ、天かすなどが無難なところか。
謎肉はいらない。
食に欲しいのは、安心・安全。
調べなくても分かる安心感が大切。

ふりかけのように、カップラーメンに追加できる具材があればいいのに。減らしてごまかすのではなく、お金を出したくなるようなワクワクする商品を作ってほしい。
今の日本は、ワクワク感が足りない。ワクワクすれば気持ちが浮き立つ、そうすれば自然と財布の紐も緩むというものだ。私は、楽しい時間にならお金を出す。


子供の頃、休日のお昼に何を食べていたのか覚えていないが、まるちゃんの焼きそばだけは覚えている。
ごちそうだった。
楽しみだった。
子供の頃の幸せな家族団らんの象徴、それが、まるちゃんの焼きそばかもしれない。

特においしいというわけではない。
味に特徴もない。
だからこそ、飽きることがない。
それこそが、一番難しいさじ加減なのかもしれない。

鮮烈に記憶に残るおいしいものを作るより、そこそこおいしく、手軽で何度でも食べられるものを作る方が難しい。味はそこそこでも、食べ重ねることで記憶が蓄積されていく。そのもの自体だけでなく、その時の光景や感情なども一緒に記憶に残る。頻繁に食べることで記憶が足されていく。悲しかった記憶も、嬉しかった記憶に書き換えられる。だから、がっかりすることがない。

衝撃をもたらすほどの美味しいものを、おいしいと感じることが出来るのは最初だけ。2回目から、おいしい度合いがどんどん下がっていく。美味しさのあまり、勝手に期待値をぐんぐん上げてしまう。期待値が高いだけにがっかり感も大きい。

空也の最中に亀十のどらやき。
めちゃくちゃおいしかった。
でも、食べる回を重ねるごとに、どんどん味が落ちていく。「あれ?」が、「あれれ?」になり、しまいに「うーむ」になってしまう。味覚と記憶の不思議。そして、今では食べたいとも思わなくなってしまった。

あんなにおいしかったのに、おいしいと感じなくなってしまう。普通になってしまう。残ったのは、初めて食べた時はおいしかったという記憶だけ。定期的に恋しくなり、変わらずにおいしいと感じるものを作ることは、ナンバー1のものを作るより、ずっとハードルが高いのだろう。

そんなことをチンした焼きそばを食べながら考える。


ウィキペディアによると、「焼きそば(焼き蕎麦、やきそば)とは、中華麺を豚肉などの肉類、キャベツ、人参、玉ねぎ、もやしなどの野菜類といった具とともに炒めたもの。日本ではウスターソースを使用したソース焼きそばが普及している」

肉も使わず、炒めもしない。
それでも焼きそばと呼ばせてくれ、焼きそばであり続ける絶対的存在感。
器の大きさを嚙みしめる。


私は、今日も焼きそばを食べる。

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