私たちは人形じゃない、人間だ
ある人は言った。
「みんなの未来に責任を持ちたいから、講座申込者全員と面接をします。その上で、受講者を決定します。少数精鋭でいきます」
「最低月に一回はオンラインで講座を開き、受講生みんなに参加していただきます。受講生全員がプロとして活躍できるよう最後まで責任を持ちます」
ある人たちは、何も言わなかった。
誰でもウエルカム。
未来に責任は持たない。
彼らは、ただただ自分たちの儲けが増えることを喜んでいた。
想像以上の人から申し込みがあったと、歓喜していた。
いつ撮ったのか分からない対面の講座の動画を流すだけで、うん十万。
誤字だらけのテキスト。
無料講座を流した後、本講座を申し込んだ人から高い受講料をとるにもかかわらず、自分たちの活動をボランティアと言えてしまう、とてもポジティブな思考を持つ、常人では理解できない感覚を持った人たち。
「心理学を学んだ人間は、言葉を知っている」
そう講師が動画の中で言った瞬間、納得する私がいた。
だから、何一つ私の心に響いてこなかったんだと。
言葉をこねくり回し、難しい言葉を使い一人悦に入っている姿がどうしても受け入れられなかった。
言葉を使いこなしている自分に酔っているが、言葉に支配されている人。
感情からほとばしりでる言葉を知識が邪魔をし、その口からでる言葉は、魂のこもっていない抜け殻。
うっすらと気づいてはいた。
私とは感性が合わないと。
でも、高いお金を払ったしと、自分をごまかしていた。
自分のことを自ら先生と呼べてしまう、権威主義の人。
この人たちの活動を陰で支えている人たちが、個人事業主として雇用されていることを知っているのだろうか。
当然、福利厚生はない。
光熱費も消耗品も家賃も自腹。
だが、給与体系は時給だ。
個人事業主の時給扱いは、グレーゾーンらしい。
だが、休みは他の人と調整しなければいけない。
看板は個人事業主だが、自由に休みを取ることすらできない。
これは、アウトではないかと私は思っているのだが、どうなのだろう。
この業界では最大手だと、ことあるごとに経営者は主張しているが、やっていることはまるで宗教のようだ。
講座受講者から働く人を募る。
当然、その業界に興味があるため不当な扱いでも文句は言わない。
中には心酔している人もいることだろう。
募集をかけるたびに応募する人もいるらしい。
何度も何度も。
そういったことを自慢げに話してしまう経営者を、私は信用できない。
カウンセラーの持つ親しみやすさなどを醸しだそうと努力している姿勢は口調から感じられるが、うさん臭さが体中からにじみ出る。
こころの専門家と自負するのであれば、まずは従業員の待遇を改善し、従業員のこころを幸せで満たすところから始めた方がいい。
名ばかりの個人事業主。
人を雇う以上その人たちに対し、本来、雇い主が負わなければならない責任がある。
それを、働き方改革、風の時代、働き方の多様性などの言葉を多用し、人々の目を曇らせ、心を惑わせ、自分たちを正当化する。
お金に余裕ができれば、自然とこころにゆとりが生まれる。
そうなれば、自称こころの専門家など不要になる。
多くの人は不安があるから、こころが不安定になってしまう。
怪しげな人たちにも、すがってしまう。
そこにつけこんだ商売をする人たちは、一切消えてほしい。
心から願う。
もっともっと儲けるためにYouTubeにもばんばん広告を出し、ネットにも広告を出している。
彼らの野心は、とどまることを知らない。
その分を、従業員に還元しようとは考えないのだろう。
どこまで、私たちは我慢したらいいんだ。
この国は、人を育てることをやめてしまった。
人をコストとしか見られず、自分たちの目の前の利益をあげることだけに血道を上げる、人間が小さい経営者たち。
設備投資はせず、これだけ時代が進歩しているにも関わらず、いつまでも昔から続く人の力に頼る経営にすがるしか能がない、知恵をもたない彼ら。
そして、人手が足りないと簡単に移民を求める。
多くの日本人の反対を押し切って。
日本人が働きたがらない会社など潰れてしまえ。
ここは日本だ。
片言の日本語は、うんざりだ。
人を育てない社会に残された道は、衰退していくことだけ。
継承すべき大切なことは、どの会社にも一つはあるだろう。
マニュアルに出来ない、文字に起こせないことも中にはある。
一子相伝ではないが、それに似たような経験がものをいうことは存在する。
だが、非正規が増えたことで、継承者が不足している。
従業員が会社を愛していることは、とても大切だ。
会社の雰囲気がいいと、それは自然と外の人間に伝わる。
すてきなアイディアが湧いてくる。
若いころは、愛社精神などと言われても素直に頷けなかった。
そういった考えには、反発していた。
でも、年を重ねた今の私にはわかる。
とても大切なことだと。
押し付けではなく、この会社が大好きだと自然と思えることが。
いつからか現場での事故が多発するようになったが、非正規の多い環境、給与が見合っていない職場なんだろうと推察している。
同情などしない。
一番大切な人件費を削ることで、その何倍ものお金を費やすことになっただけのことだろう。
自然の報い。
新しい言葉ができると、それを自分たちに都合のいいように解釈する。
「働き方改革」
働き方改革という言葉は、愚かな人間を喜ばせる。
愚かな経営者は、働き方改革の名の元、従業員にさらなる負担を強いる。
愚かな雇われ人は、働き方改革という壮大なステージに自分が上っているような錯覚に陥り、高揚感とともに会社のために働く。
新しい言葉好きな人たちにとっては、この上ない極上のエサだ。
派遣が当たり前になり、100均が町の中心にある今の世の中はおかしい。
100均など、町の片隅で申し訳なさそうに商売するので十分だ。
今の100均は、安物買いの銭失いではない。
そうテレビやネットで、さかんに取り上げられる。
定期的に100均グッズが特集される。
だが、試しに買ってみて満足したことなど一度もない。
すぐ、ゴミ箱行きだ。
100円だからしょうがない。
その思いは、心に蓄積していく。
心が、気づかないうちに貧しくなっていく。
少しずつ少しずつ溜まっていくから、心が貧しくなっていっていることに気づくことができない。
そして、その心はものに対してだけでなく、いつしか自分に対しても安く使われてもしょうがないと思わせてしまう。
心が貧しくなった自分と友達になってしまい、貧しさを引き寄せてしまう。
バブルが弾けてからずっと、私たちは安さばかりを求めてきた。
それが今は、行き過ぎた安さ競争になっている。
安さと引き換えに、手頃で丈夫で安心して長く使えるたくさんの国産のものを失った。
それと同時に、妥当な給料で正社員という、未来に対して安心感を持てるたくさんの仕事も失った。
そして、数多くの悪代官の台頭を許してしまった。
安さに魂を売ったわたしたちが失ったものは、あまりに大きい。
正常な日本に戻すのに、どれほどの時間・労力がかかるのか。
それとも、このまま貧しさを極めてしまうのか。
今、とても大切な分岐点だと思う。
わたしたち一人一人の覚悟が求められる。
我慢を強いられる。
闘う。
声を上げなければいけない。
簡単に結果が出る闘いではない。
長期戦になる覚悟が必要だ。
人間らしく豊かに生きる未来を選択するか、多くの日本人が下僕として扱われる、貧しい未来を選択するか。
安さを求めた結果、企業は人を正社員で雇えなくなり、常識外れの行動をとるバイトに頭を悩ませることになった。
収益が上がっても、バイトテロを起こすかもしれないが安い人件費という甘い誘惑に勝てない。
そうさせてしまった私たちにも責任がある。
わたしたち一人ひとりには、それぞれかけがえのない才能を天から与えられている。
それに対し、正当な報酬をもらわなければいけない。
そして、正しいことをしている企業・お店に使わなければいけない。
それが、日本を良くするために、私たちに与えられた使命。
安さだけを追い求めていては、日本を良くすることはできない。
100均、100円の回転ずしで育った人間が主役になる時代が、いずれ訪れる。
そこに希望の光はあるのだろうか。
輝かしい未来を創造できる世界なのだろうか。
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