見出し画像

若気の至り

わたしはかなり小さいときから、作文がすごく得意な子供だった。
読書が大好きで漢字や単語を同い年の子たちよりたくさん知っていたというのもあるけれど、それよりも「大人に喜ばれそうなものを書ける」子供だった。
子どもらしく、教育上いい感じに、実際の経験も交えつつ、かつ日本語の間違いのない文章が書ける子どもだった。
読書感想文などは書けばクラス代表ぐらいには選ばれていたし、授業で作る新聞とか詩とかの類はだいたいお手本としてみんなの前で読まれたりした。

そういうのに選ばれたことを家で報告すると、母はそれらの作品を読んで、「あんたは大人が書いてほしいものを書くのが上手だよねえ」とよく言った。
文字にするとすごく嫌な感じに見えちゃうけれど、当時のわたしは全然そうは感じていなくて、今思い返してみてもあれは嫌味とか悪口ではなくて、感心のニュアンスだったと思う。

小学生の頃は作文や日記が好きだったし、受験期は小論文が好きだったし、就活中にエントリーシートや志望動機を書くのも楽しかった。

大人になってnoteを始めて、自分の「文章が得意」の意味を、あのときの母の言葉の意味を、ひしひし感じている。

わたしは文章を書くのが大好きだし、小さい頃から確かに得意だったけれど、わたしが得意だったのは、決められた題材に沿って、決められた文字数で、よい成績をつけてもらえそうな文章を書くことだったのだ。

23歳になってnoteを始めてみたら、どうしたものか、エッセイは全然書けない。
普段考えてること、感じてること、人に伝えたいことは山ほどあって、頭の中には次々題材が浮かぶのに、それらを完全オリジナルで、自分の言葉で表すのは、すごく難しいことだと知った。

いや、きっと、ほんとは全然難しくないんだろう。

ただ、面白い文章を書きたいとか、エッセイを投稿するなんて恥ずかしいとか、友達や恋人からどう見られるのだろうとか
自分の欲やプライドがぜんぶの障壁なんだろうと思う。

(自分の文章はエッセイである、と僭越ながら認めるに至った経緯は一番最初の投稿の一番下に記してある)
https://note.com/shiyoshiyoshi/n/na0a62f14b0c8


このnoteを始めるよりずっと前、他のブログサービスを利用して文章を公開していた。
Twitterも高校の頃からかなりヘビーに使っていた。

けど、あるとき急にものすごく恥ずかしくなって、どちらもアカウントごと削除してしまった。

Twitterなんて高校から始めてもう8年近くになるけれど、高校を卒業するときに複数あったアカウントを全部消して作り直したので、最初の3年間のわたしの1万近かったツイートはもうほとんど存在しない。

どちらもとっとけばよかったなあと心から思う。

それらを消したとき、わたしはきっと過去の自分の偉そうな文章が恥ずかしくて仕方がなくて、
もしくは、こんなの何年か後に読み返したり誰かに見つかったりしたら恥ずかしいに違いない、とか想像して、
そういうことに気づいてしまって、
そして断捨離みたいに思い切って一掃して、すごくすっきりして、一安心だったと思う。

でも、もう若気の至りでもなんでもいいから、そこをぐっとこらえて、恥を忍んで、全部残しておけばよかった。

こんなの何年か後に読み返したり誰かに見つかったりしたら恥ずかしいに違いない、と想像はしたけれど、そのさらに先で、恥ずかしくてもいいから残しておけばよかった、と思う時が来るなんて、想像もつかなかった。

ブログやTwitterにわざわざ投稿しちゃうほどの、
その時の楽しさや悲しさや感動や興奮や写真や動画を、
マウントや驕りや絶望や勘違いを、
全部とっといて悪いことなんてひとつもなかった。

ていうか、わたしはよく「この気持ちを忘れたくない」と思いながら文章を考え、投稿していた。

忘れないために書いていたのに、恥ずかしくなって消しちゃうなんて、なんてあほなんだ。
全部消したっていう行動こそが若気の至りだったとすら思えてきた。


ここまでつらつらと書いて、冒頭に戻って読み返してみた。

そしたら、わたしはさっき、“わたしが得意だったのは、決められた題材に沿って、決められた文字数で、よい成績をつけてもらえそうな文章を書くことだったのだ。”とか言って、自分が思うようにnoteが書けない理由をそこに見出していたけど、
たぶんnoteが書けない理由はそこじゃない。

その直後に速攻で答えを出しているけど、
自分の欲やプライドがぜんぶの障壁、なんだろうなあ。


はたして、今度こそ、わたしはこのnoteを消さずにいつまでもとっておくことができるのか。

ペースが遅くたってなんだっていいから、とりあえず消さずに続けたい。
(この記事に「noteのつづけ方」っていうタグをつけようと思っていて、そんなことしたらそのタグから飛んできたストイックにnoteを続けたい人に「紛らわしいからこのタグ使うな」と思われそうだけど、まあつける。)

とりあえず消すことだけはせずに続けたい。

恥も誇りも勘違いも未来の自分に残せるウツワを持った人間になりたい。


若気の至り、ばっちこい


おわり


(写真は全然関係ないラーメン。たべたい。)

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?