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ちっぽけな私が通ります。

年齢で人は測れない。
ってことをつくづく感じた1日でした。

新しいことと驚きは抱き合わせ。
「おつかれさまです」と背を向けたあと道を外れて立ち止まり、ふーっと息を吐く。
汗ばむ掌も
強張った頬も
何枚も上手の人たちの前ではきっと隠せて無いけれど
一人でほっとしたかった。
なんとか終わったな。これから始まるなって。

今日、緊張の裏でずっと自分の薄っぺらさが気になっていた。
なんだろう。
同年代、同じ大学。
重なる部分はあるのに全く厚みが違う。
来年の自分が会社を持っている未来は全く想像できないし、あんな風に社会人と渡り合える気もしない。
積んできた経験も
発想を現実に起こす力も
コミュニケーション能力も
私には無いなって。

何歳だから
学生だから
コロナだから

きっと、その考えは逃げなんだろう。
実際に、年齢に制限されていることはほんの少しで、
挑戦の可能性は多岐に渡っていて。

敷かれたレールを進むことに
普遍的な世界に従うことに
大義は持たないのに、
ただなんとなく過ぎでしまった日々は
私の時間を薄く引き伸ばしているだけなのかもしれない。

積み重ね続けた日々と
引き伸ばしてしまった日々

生きてきた時間だけで、何も測れない。
きっとその濃さが大切。

あーー。

叫びたくなる。
自分はちっぽけだなって。
大学も広いなって。







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