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殺しを通して死を考える 2022 2/23の日記

 この日はずっとゲームをする日だと決めていました。次の日(つまり今日)は学校の図書館に籠りきって購入を頼んだ本をとにかく読むと決めているので。

 「ファイアーエムブレム風花雪月」と「APEX」と「モンスターハンターライズ」の三角食べ。この間誕生日プレゼントで「ペルソナ4 ゴールデン」を貰ったけどまだ始められてないな~。申し訳ない。早めに「始めたよ~」って連絡したい。本当なら貰ってすぐにするべきだったんだろうけど。

 三角食べしてて思ったんですけど、それぞれのゲームで描写される「死」が三者三様で面白いです。

FEでは、プレイヤーは神の視点から戦場を見て、自軍の被害を最小にして敵軍を倒すという形をとる戦略シミュレーションゲームで、「攻撃する」ボタンで勝手にキャラたちが動いて殺しあっていくカジュアルな殺し合いなのですが、ストーリーの上では、名のある将軍を殺すとその断末魔が聞こえるし、民間人が死んでしまうと、必ずと言っていいほどキャラは曇り、大切な人が殺されたらもう感情はオーバーヒートするくらいに燃え上がります。深く悲しんだり、ブチ切れたり。プレイヤー側の殺しやすさに対してストーリーでの死が重い。重すぎます。

APEXでは、プレイヤーは選択したキャラの一人称視点で様々な重火器を用いて敵チームを倒して最後まで残るゲームで、ちゃんと練習しないとうまく殺せず、むしろ殺されるという、プレイヤーにとって殺しはFEと比べると結構苦労する必要があるんですが、APEXの世界では、「死」の概念はあやふやで、「殺し合いゲーム」と呼ばれる割には、これから殺す相手に「ドンマイだったな、次頑張ろうぜ!」みたいに言ったりする感じで、公式PVでも、普段は殺し合いをしているキャラたちが「フゥ~~~!!!バカンスだぜ!!!!!」みたいに皆で南の島に遊びに行ったり、パーティをやたら開いたりと仲が良かったりします。殺しあってるけど死はぼやかされてる印象です。

モンハンでは、言わずと知られてますが、主人公はでっかい武器を持ってでっかいモンスターを狩るゲームで、「ライズ」だと登場人物が結構たくさん出てて、「ご武運を」とか、「アタシはケガしてしばらく狩猟に出られそうにない」と、主人公の身を案じていることが多く、実際主人公も「キャンプに戻ります」と言われているだけで実際は死に値するダメージを受けているだろうし、モンスターも普段の生活中をハンターに襲撃されてそのまま死にます。このようにAPEXに似てガチの命のやり取りをしているわけで、それが周囲には伝わっているはずなのですが、狩猟の依頼主は、「モンスターが持つキレイな羽を見てみたい」とか、「あのモンスターはハーレムを作る性質があり、彼女のいない俺にとって不愉快。討伐してくれ」みたいな理由でハンターを命のやり取りの現場に投げ出したりします。ハンターの命を何だと思ってるんだ。

 最近発刊された昔ばなしで「死」の描写が避けられてマイルドにされてしまったのが話題(定期的に話題になってるけど)ですが、現実世界でも、物語を面白くする上でも「死」は避けることができないので、今後も「死」からは目を離さないようにしていきたいですね。メメント・モリ死を忘れるな

この話題について「仮面ライダー龍騎」で秋山蓮を演じた松田悟志さんがいいこと言ってました。

「龍騎」でも「命のやり取り」、「死」があって、仮面ライダーに変身することでAPEXくらい他者を殺すのが容易なのですが、「死」はFE並みに重い。特に主人公・城戸真司の「浅倉(作中きっての凶悪な人物)は嫌な奴だけど、死んでもいいって訳じゃない」はなかなか印象的で、さらに作中で繰り広げられたライダーバトルの秘密がわかった時にも、
「生きていればきっと道がある」
「命を選ぶのはやっぱり本人だって」
と仮面ライダーのメイン客層であるちびっ子はもちろん、大人も答えられないような問いと相容れない主張がぶつかり合います。

 多分これからの創作では「殺し」と「死」はますます厳しく取り締まられて行くと思います。少なくとも多くの人が目にするコンテンツにおいては。でもどれだけフィクションの世界から死を排除しても、現実世界ではいつも誰かが殺してるし、誰かが死んでいます。当然それは他人事ではなく、殺せるし、殺されるかもしれないし、絶対死にます。
 死を遠ざけたいのは理解できない考え方じゃないですが、せっかくフィクションが何でもできる世界なんだから、フィクションが現実の道標になれるような、「死」というものへのヒントとなれればいいのになと思います。

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