【質問箱】私のつくりたいヒーロー像

こんにちは。皐月です。
ここ数日、なんだかエンジンがかからず、お金をおろすのを忘れていてコンビニで何も買えなかったり、光熱費などの振込用紙を玄関先に置いておいたのに出かけるときに忘れてしまったり、燃えるごみの日に向けてゴミをまとめた後に、ゴミ袋を買い忘れていたことに気づき慌てて買いに行く……など、なんだかちっともうまくいかない毎日が続いています。

そんな中で、いいニュースもありました。明日の声優と夜あそびにて、自分が書いた作品について言及していただけるそうです。ありがたいね。詳細は番組内で確認していただけたらと思います。

仕事面ではそれなりに頑張れている気がしても、生活が相変わらずうまく立ち行かない私。今月の給料もそう多くないので、あまり散財もできず、冷蔵庫の中に入っているしわくちゃでカピカピのキャベツでなんとか食いつないでいかなくてはいけない惨状……。

そんな私の惨状を案じてか、毎日誰かが夜に電話してくれます。人の声を聴きながら眠りにつけることは救いだな……と思います。今日も、昨日も、うまくいかなかった……と私が天井を見上げながらボソボソ言っていると、「うまくいかなくてもいいじゃん」と言ってもらえる安心感。これにつかりすぎるときっと依存してしまうのだろうけど、今の私には大切な栄養な気がしています。ありがとう。

さて、このnoteは、質問箱に頂いたお題や質問に合わせ、脚本家がつらつらと自分の意見を語る場所になります。質問がたまりつつ、いただいた質問を読み解けなかったり、noteという媒体で答えるにはちょっとばかし「単語回答むき」だなあと思うこともあり、質問返しがまばらになってしまっております。すみません。

それでも、なるべくこちらで答えてみるようにします。期待通りの答えがもらえなかった、ということもあるとは思いますが、一意見として、ふんわり聞いていただければ嬉しいです。

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さて、本日頂いたおたよりは

「現在、女性ヒーローが主役のウルトラシリーズは一つもありません。
もし皐月さんがウルトラウーマンのテレビシリーズのメイン脚本を任されたら、どんなストーリーにしますか?本業の脚本家の方からの、意見を聞いてみたいです」

ということでした。

こちら、大前提として先に述べさせていただくと「ここで書いたらできなくなっちゃうじゃん」ということですかね。今現在特に温めているものはないし、ここで書いたところで、いつか抜擢されたときにはきっと別のことをやりたくなっている気がするので、まあ言ってもいいのですが……あくまで外部から関わっている人間として、こういった言及は避けさせていただければと思います。

とはいっても、せっかく質問をいただいたので、この内容について少し、個人的な分析をさせていただけたらと思います。

まず、「女性ヒーローが主役のウルトラシリーズは一つもない」ということについて。
こちら、最近よくジェンダー的な話題の中で上がることだと思うのですが、私からすると「女性ヒーローが観たかったらプリキュアを観ちゃうな」と。

私はもともと戦隊ヒーローが大好きで、夢中になって視聴してきたいちファンです。熱い主人公、冷静なキャラ、ドジなキャラ……少ないけれど加わっている女性キャラの毎年のバリエーションの多さにうなっています。
そんな私からすると、例えば「女性しかいない戦隊」とか「男女比が逆転した戦隊」がもし仮にリリースされたときに「いつも観ていて、これこれ、と思っていたものが観れないかも」と思いそうだな……と。

「くだり」というものがあります。ダチョウ倶楽部さんで言うと、おでんを食べさせようとしてわざと口の周りにあてたり、押すな押すなと言って三回目にお風呂に突き落とされる、みたいな、「くだり」。
水戸黄門であれば、どんなにピンチになっても印籠を見せて皆を従えさせてしまうし、火曜サスペンスでは崖に追い詰められた容疑者が自白をします。

私はこういう「くだり」、言い換えれば何が来るか分かっているものを観るのが結構好きです。でも、そのくだりは、時世であったり、キャラクターの特徴であったり、色々な要素が集まって「どれも全く同じものは存在しない」という面白さがあると思います。

「シリーズもの」というものは、その「くだり」を確立し、ひとつのフォーマットとして毎年お客さんたちに観ていただく、という安心感でなりたっているのではないかなと考えています。
『相棒』が、相棒なしになったら「えっ」、となるし、右京さんじゃなくなったら「えっ」となるように。相棒が女性になるのはいいと思いますが。

そういう解釈の上で、「ウルトラマン」で私が観たいな、と思うのは「怪獣とウルトラマンの熱きプロレス」だなあと思います。女性として育った私が、自分とは少し離れた価値観と葛藤の中で、主人公が何をするのか見守りたい。
もちろん、いち人間としての成長を見守る、という意義では「男性」である必要はないのかもしれない。でも、ウルトラマンはどうしても「いち男の人生」を描く作品であるのではないか、と思うんです。

あまりに、その文脈で作るものとして、「完成」されすぎている。

言い換えれば、「寅さん」が急に来年から「寅ちゃん」になっちゃったら「ほえ?」と思うような……。
並び立って戦うヒーローとして、ウルトラウーマンがいることはとてもいいことだと思います。私だってウルトラウーマンになって宇宙の平和を守りたいし。

でも、「男性が巨大ヒーローとして変身をする」というフォーマットで確立されたものの中に無理やり「女性が巨大ヒーローとして変身をする」ものをねじ込むのは、「くだり」を期待している人からすれば、大きな裏切りになるのでは……と危惧してしまいます。

だからこそ私が思うのは「女性が巨大ヒーローとして変身をする」話を作るなら、そもそもフォーマットを突き崩して、いちから作らなきゃいけないんじゃないか、ということ。

アベンジャーズでブラックウィドウが活躍しているのは「アイアンマン」でも「スパイダーマン」でもなく、「ブラックウィドウ」という別のシリーズとしてきちんとキャラクターが構成され、レーベルとして、ブランドとして「アベンジャーズ」という枠組みが後からつけられたからです。

ウルトラがすでにいるM78から飛びだして、一人立ち上がる強き女騎士を生み出さなければ「ただのイレギュラーキャラクター」としてしか、人々の目には留まらないでしょう。ウルトラマンのようなデザインからも脱却しなくちゃいけないかもしれません。それは、今のウルトラシリーズで言うと怪獣のような姿だったり、完全に人間と同じ見た目かもしれない。そこから変えなくちゃ。

どうせ私がいちから女性ヒーローを作るのなら、「ウルトラマン」という枠組みの外で新しい土壌を開拓していきたい。これが私の結論です。

さて、次に「ヒーローもののメイン脚本を任されたら、どんな設定でどんなストーリーにするか」についてですが、先に述べた「それじゃあ本番でその企画出せなくなるじゃん問題」もあるので、「いつも気を付けているポイント」についてお話してみようと思います。

私にとってヒーローは「誰かがそこに存在することを理解する」ものだと考えます。ちょっと抽象的すぎますね。

この世には多種多様な思想があり、その思想が生まれる原因も様々です。そんな中で、どちらか一つを取り出して「異端だ」「危険だ」と迫害することは、あってはならないといつも考えています。

だからこそ、私がヒーローを描くときには「目の前の相手を理解しようと努める」ようにしたいな、と思っています。敵はなぜ襲い来るのか、襲い来る原因となったものは、なぜ発生したのか。なぜ?なぜ?を繰り返して、自分がどうやったら歩み寄れるようになるか?という「How」の位置まで落とし込んでいきたいです。

誰かが謝罪会見をするとき、「原因究明します」という言葉がよく用いられます。ですが、それじゃ何の解決にもならないな、といつも肩をすくめてしまう私。

原因が分かったところで、そこからどうしたら発生しないのか、未来の犠牲を防げるのかという「身の振り方」が提示されなければ、結局「またこの原因が襲い来る」未来から逃れることはできないからです。

目の前に現れた敵をただ倒しても、そこには「敵側からの復讐心」、やがて「復讐の連鎖」が発生するだけですし、敵組織を根絶やしにしたとしても「彼らと同じ怒りを持った集団たちが再び襲い来る」可能性は消えません。

ただ、火の粉が舞ってきたから振り払う、という物語を、「ヒーローものにおいては」私は作りたくない。それは、社会で生きてきても、何の解決にもならないから。

「お金がない」から「とりあえず働く」のではなく、「どうしたらもうお金に困らなくなるのか、そもそも今飛び込もうとしている職場で適切なのか」ということを考えて毎日を過ごしたい。

「誰かに悪口を言われた」から「とりあえず訴える、逃げる」のではなく、「どうしてそれを言われたのか、どうして相手はそれを言ってしまったのか、二人の関係値は? 今後も続くべき関係性なのか? また、相手にも何か事情があったのか?」と分析しなければ、きっとどのコミュニティに行っても同じトラブルが起こります。もしかしたら「こいつはうるさいことを言ってくるから、他の人を攻撃すればいいや」と他の被害者が増えるかもしれない。

※後者に関しては「とりあえず逃げろ」論も重要だとは思うので、あくまでも周囲の大人がそうやって向き合うべき、という考えですが……。

当事者であっても部外者であっても、人間の人生というのは考えて行動しないと一瞬で過ぎ去ってしまいます。そんな短い期間を「本当にこれでよかったのか」という後悔の時間にあてるのは、あまりにももったいない。

それは例え、子どもという期間で「あの子を無視した」「怒って物を壊してしまった」というものでも。人生はあくまで一続き。私たち大人が自分の行動を振り返るように、子どもだってその時々に振り返り、一日一日を積み重ねている「人間」です。
そんな、社会を築く一人の「人間」である子どもたちに、私は「目の前にいる相手・事象について、なぜ?どうして?どうやったら?」と疑問を持ってほしいなと思います。

別に、「こういう思想になれ」みたいな主張は私にはとくにありません。

私だって、事柄によってはマジョリティにもマイノリティにもなる。それは、物事についてまず考えてみて、自分がどうしたいか、どうやったら解決するかを考えた末にある。

物語の中にも色々な人がいる。マジョリティもいればマイノリティもいる。ほめられたものではない、と言われる人だっているし、いつもニコニコしているけど本当は苦しんでいる人もいる。物語の中に出てくる人が、全員同じ思想なはずがない。
私の描く物語の中に出てくる「バラバラな思想」「バラバラな悩み」「バラバラな言動」に触れて、「こういうもの・人が、事があるんだ」と、へぇ、っとなってくれるだけでもいい。
私はその「へぇ」と言う声が上がる間に、キャラクターたちと一緒に「どうすべきか」の「How」を考えて、物語にしてみるから。

うん、つまり「勧善懲悪にはしない」ってことです。人には人の事情がある。その中で、私たちはどうすればいいか? いま私たちが暮らす世界そのものを、デフォルメして物語に落とし込んでいきたい、というのが2つ目の結論です。

さて、長々と語ってしまいました。ついこういう話だと後先考えず自分の意見をがーっと言ってしまうところがあります。
友人たちには「正論で殴っている」だとか「相手の逃げ道をふさいでいる」と言われがちな私。もう少し大人になれたらいいな、と思いながらも、ついがーがー、人間にしては大きめな怪獣が鳴いています。

それでは、今日はここまで。
おやすみなさい。


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