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【質問箱】誰かに届けるための創作活動

こんにちは。皐月です。
今日はひたすら小説の直しをしたり、とあるインタビュー案件の内容を精査したりしていたら夕方になっていました。
お昼には謎のひき肉トマト煮込みを作って、いや作りすぎてお腹をパンパンにしたり、久々に温かいものを飲んでいたら汗だくになるなど、実写版あたしンちがあったら私を母にしてほしいなと思う一日でした。

さて、昨日からauスマートパスプレミアム会員様限定配信の、『あざとくて何が悪いの?』オリジナルミニドラマの配信が開始しました。

LDHの神谷健太さんと藤原樹さんがご出演されるということで、私なりにお二方のことをせこせこ調べて書いたマルチアングルドラマ。

神谷さんは餃子づくりが趣味とのことで、レシピ自体も神谷さんにものをドラマ内で使用させていただきました。藤原さんは猫好きというのがファンの方の間で有名らしく、ドラマ内でも猫好き、猫の話をすぐするキャラクターに。
せっかくファンの方にお楽しみいただくのなら、ちょっとくらいサービスしたい、という強欲な私の手癖です。

ところで、マルチアングルドラマって?ってなりますよね。私も初体験でした。5Gによりネット回線がびゅんびゅんになる、ということで、ドラマ視聴中に「○○(キャラクター)の視点でこのドラマを観たい!」とぎゃんぎゃん自分で設定できるドラマなんです。

今回切り替え可能な視点は3視点。現在公開中の前編では、主に女性たちにスポットをあてて表現させていただいていますが、後編はまた味を変えてあるので、配信開始をお待ちいただければなと思います。

ああ、解禁されたものが多い9月でしたが、今月の給料は4万円。世間とは厳しいものです。

前段が長くなりましたが、このnoteは、質問箱にいただいたお題に合わせて、脚本家がつらつらとお答えしていくnoteになります。
ついにお題が残り5つになりました。タイムリミットが迫っている……。ということで、新しいお題をいただけたらとっても嬉しいです。(質問箱が難しければこちらのコメントでもOKですので)

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今回取り扱わせていただくお便りは

「いつも楽しく拝見しています。皐月先生にとって、初めての創作の思い出を教えてください」

ありがとうございます!優しい人です。そして、初めての創作の思い出ですか……。

私、物心がついたのがおそらく10代からという異例の「自我の芽生えの遅い人間」だったので、いったいなんだったかな~、そもそも創作と言っていいものってどのレベルからなのかな~というのをしばらく考えて遅くなってしまいました。

幼少から自分でお話を書いたり、絵本を書いたりすることは多かったのですが、「誰かに読んでほしい」と思って筆をとったのは、小学校の時です。(何歳かは覚えていません……)

※この話、母から今でもたまに聞かされるので知っている内容のため、100%真実ではない可能性もあります(母も私も人ですから)。

私は、友人にも仕事場でも公言していますが、重度のマザコンです。一人っ子で共働き家庭だったため、母と父とコミュニケーションを取れるのは夜だけ。それも、子どもが起きている時間となると、それほど多くありません。
中高生になると、母も父も0時を超えることもたまにありました。そういう両親に大切に育ててもらったことを心から感謝しています。

そんな私が、母とコミュニケーションを取るために使っていたのが「交換ノート」でした。今日はどんな日だったか、休みの日にやりたいことは何か、最近ハマっていることは何かなど、拙い字でせっせと母にしたため、母はそれに一ページきちんと使って返答してくれました。

今でも母は私と使っていた交換ノートを寝室にとっておいてくれています。愛してるなあ。互いに。(こう言うと、「私の方が愛しているんですけど!?」と言われます)

さて、そうは言っても、小学生の日常にそれほど大きな変化なんてありません。飽き性の私は、少しすると書くことが無くなってしまいました。その時に、母に向けて書いたのが「冒険小説」です。

今思えばコロコロコミックとちゃおを足して2で割ったような(おこがましいですね)、とんちきな名前のキャラクターがたくさん出てくる物語でした。
もともと、母が小さい頃から「オリジナル童話」を私に聞かせてくれていたことが要因な気がします。よくある昔話も、母がアレンジを加えて面白おかしくしてくれるのを、ゲラゲラ笑って聞いていた私には、「お話を作って渡す」というのが、当たり前の文かとして刷り込まれていました。

ですが、これもまた飽き性。私は書いている途中でも、自分が書いているものに飽きるとスパッと書くのを辞めてしまい、「あの続きはどうなったの~?」と母に言われ続け「もうあれは終わったの!」の繰り返し。
母のために書いている割には、すっごく自由なふるまいですね。

その次に書いていたのは、漫画でした。小学校で美術クラブに入っていた頃、皆が書いていたのは美術的な絵ではなく、漫画の模写のようなものが多かったんです。
BLEACHやNARUTOの絵がたくさん描かれている中、私はせっせと、折りたたんだ画用紙の中に四コマ漫画を描いていました。タイトルは「ムムちゃん」。

絵は完全に「ミスターフレンドリー」の見た目でした。眉毛の方向だけ逆の。おもしろフラッシュの影響を受けまくっている不条理ギャグ漫画だった気がします。

それも、結局完結されていませんね。大学時代まで「書いた物を完結させる」ということが全くできませんでした。ずっと他のアイディアがどんどん湧いてきたし、色々なものに挑戦したい、注意力散漫な時期だったからでしょうか。

大学生になって、「プロとして脚本家を目指す」となって、ようやくその舵が上手くとれるようになった気がします。

きちんと読み手を意識する&きちんと完結させる長編を書いたのは、脚本が初めてじゃないでしょうか。小説って昔っから最後まで書ききれませんでした。
尻切れトンボで、「読んでいたのにもう書かないの?」と指摘をいただくことが多い私……お恥ずかしい話です。

そう思うと、『SSSS.GRIDMAN ANOTHER LOAD』『採択のエヴァンジェリスト』『ナヒレ決議』くらいしか完結した小説は書いていませんね。うち2つは仕事だし……。
そういう点を含めても、脚本だとすっと最後まで構成を考えて取り組めるので、やっぱり小説家じゃなくて脚本家が向いてたんだ、と思っちゃうなあ。

正直、今後商業ではなくオリジナルの物語を書くぞ、となるかは分かりません。文学フリマに小説を出すのはいいけど、正直在庫がたまるばかりで私にはまだまだ実力もないし……。こうしてエッセイを書く方が圧倒的に好きなのもあります。

仕事が物語を書くものだから、小説があまり「趣味」にならないのもあるかもしれません。どうしても、色々考え過ぎちゃうんですよね。
ですが、一応現在小説の仕事に取り組んではいますので、自主小説はありませんが、商業小説は今後もお読みいただけると思います。これもまた続いて仕事がいただけるように、頑張るっきゃない。やったるぞー!

というわけで、以上が、私の初めての創作の思い出です。
今回も長い文章を読んでいただき、ありがとうございました!


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