【終末のエンドロール】第十二話 置き手紙
「外には――出ない?」
僕はただうなずいた。言い訳を繋げても、仕方がない気がしたから。ジョセフはショックを受けて居たのかもしれないけれど、表情は分からない。画面の外は僕には見えないから。
ジョセフについて行くかどうかアンナも考え中だと思ったから、ジョセフには僕だけで話をした。アンナにだけ言わないのは不誠実だと思ったけど、僕が行かないなら、と、引っ張られてやめてしまったら、真摯にアンナと向き合おうとしているジョセフに申し訳ないと思ったから。これが僕なりの、ジョセフに対する贖罪のつもりだった。
部屋を出ようとすると、ジョセフが小さい声で何か言ったのが聞こえた。言葉はハッキリ聞き取れなくて、僕は思わず振り返る。ジョセフは椅子に座ったまま、まっすぐ僕を見ていた。
聞こえてきたのは、言葉じゃなかった。無表情なジョセフの顔から、風邪を引いたときみたいに鼻をすする音だけが僕に届く。小さく、ごめん、ごめんと、声だけが聞こえて。パソコンの向こう側で、キーボードから手を離して泣いているんだろうと、なんとなくわかった。
「……考えてほしいって、言ってたんだけど……。その時は、本気だったんだけど――。どっかで、ついてきてくれるって、思ってたから」
ジョセフが、僕に考える脳をくれた。ジョセフが、僕に選択肢をくれた。彼に会わなかったら、気づかないうちに、僕はすべてを失っていた。
「ありがとう、ジョセフ」
「え……?」
「僕に、全部をくれて」
「俺は何も……。だって俺が――色々いじくりまわさなかったら」
「ジョセフに会えて、よかった」
部屋を支配していたすすり泣きがスッと止んで、吐息も聞こえなくなる。無表情なジョセフの目が、ちゃんと僕を見つめているのが分かった。
そう、生きている世界が違ったって、いつもジョセフは、僕に語り掛けてくれていた。友だちとして、家族として、一緒に眠って、一緒に起きて、畑を耕して、走って、笑って。それを続けたいと、自分に出来ることを探してくれていた。
「僕は――ジョセフと友だちになれて、本当によかった」
■
残り二日。朝食の時間、ジョセフからすべての作業が終わったと言われた。今すぐにでもあちらに行けるから、ここのサービスが完全にシャットダウンする前の、好きなタイミングで移動できる。すでに心を決めているマユが一番最初に行くんだと思ったけれど、もう少しだけこっちで遊んでいきたいらしい。
動揺するかと思っていたアンナも、思ったよりも冷静だった。食後の紅茶を飲みながら、深く息を吐いて見せ、わかった、と。ジョセフの顔を真っすぐ見つめていた。
「私、死ぬのが怖いの。自分が、本当は何年生きてきたのかもよく分からないけど……。まだ、はい、世界が終わりって言われても、これからやることが何も思い浮かばなくても……もう少し、ううん、もっと……生きておきたい」
ジョセフへの気持ちは、と、僕もマユも聞きたかったけれど、ジョセフがアンナを真っすぐ見ているのを見て、僕たちが口出すことじゃないんだと分かった。
「いつ、行きたい?」
ジョセフが言ったのは、それだけ。
アンナはすぐに、ジョセフの作った世界に転送されることに決まった。あっちの世界には、アンナが好きな食べ物も、ペットたちも、これまでクリスマスに貰っていたものたちも、そっくりコピーしてあった。
それでも、誰もまだ足を踏み入れてない場所に行くのは、怖くないのか。ジョセフだって、一度コピーして僕たちのもとに戻れなくなることを危惧して行っていない世界なのに。
「怖いは、怖いけど――……ジョセフのこと、信じてるから」
ジョセフの方から、短く息を吐く音と、それに続いて、勢いよく空気を取り込む音が漏れていた。
「ありがとう」
上ずった声でそう言うと、ジョセフは、しばらく黙っていた。
アンナは今日まで使っていた私物をジョセフの部屋に持ち込むと、見送りの僕たちを振り返った。
「待ってるね」
ああ、言わなくちゃ。僕は行かないんだって。なのに怖くて口が動かない。これでもう会えなくなるのに。
優しくて、優柔不断で、人にばっかり気を使って、よく泣いて、それでも、一番よく笑ってくれた僕たちのお姉ちゃんが、僕の目の前から消えてしまうのに。僕は、何も言えない。ただ、目と目の間がギュウッと痛くて、熱くて。僕の顔は、きっとものすごいひどい状態だった。
「……タイチ」
「ん……っ?」
「そうなんだね」
涙を滲ませたアンナは、僕の両手をぎゅっと握りしめた。握りしめて、さすって、さすって。ジョセフがこれじゃあ妬いてしまうと思うのに、ビリビリ痺れて動けない。痺れは顔にまで上がってきて、もう、涙が止められなくて。涙が伝う頬が、すごく、冷たい。
ごめんね……という声は、ちゃんと届いていただろうか。いつの間にか僕から手を離したアンナは、真っ暗な箱に体を沈めようとしていた。瞬きすれば、これでお別れ。僕はもう、瞬きするまいと前を見ていたのに、溢れた涙が世界を滲ませている間に、彼女の姿は消えていた。
「辛気臭ぇ……。自分で決めたんだろ」
マユはそう言いながら、僕にティッシュを箱ごと投げつけた。
「そんだけセンチな別れ方したんだから、土壇場でダセェことすんなよな」
「ダサいって……何?」
「やっぱついてくーとか言う事だよ」
「俺はそれでもいいけど……」
「残り二日なのにそんなんに振り回されてらんねーっつの」
「いいでしょ別に、マユはあっちに行ったら暇になるんだし」
「お前……言うねー? でも残念、こっちでも暇だったっつの」
「タイチ」
「……ん?」
「一応、預けておく」
ジョセフがくれたのは、アンナが入っていた箱とそっくりのものだった。違うのは、サイズだ。僕の首にネックレスのように下げられるそれは、開けるとものすごい勢いで空気を飲み込んでいく。
「これを使えば、どこにいてもアンナがいるところに行ける。サイズは小さいけど、スペックは同じ。一応持ち歩いておいてほしいんだ」
「ほら、ジョセフはそうやってすぐ甘やかす」
「マユのことだって甘やかしてきただろ」
「はっ? なんのこと? いっつも厳しかったんですけど」
そうして散会した僕たちは、それぞれの部屋に戻っていった。マユはやり残したことを、僕は……片づけをしても、どうせなくなるのだから意味がない。だから、ただ大の字になってベッドに寝転がった。思い出なんて嘘っぱちだって分かっていても、このベッドに寝転ぶとなぜか安心する。そういうふうにプログラムされているんだ。いつまでも寝ていたい。家族に起こされて、あと五分って。
いっそ、全てひっくり返したっていいんだよな。この壁だって、小さいころみたいに落書きしても怒られない。……あ、それも嘘の記憶なのか……。
僕はのそのそと起き上がって、壁に触れてみた。ひっかき傷だって、落書きをしたって構わない。なのに――どうしてこの手は動かないんだろう。
この部屋は、狭くて、勉強するときは暑くて寒くて、ちっとも気に入っていなかった。賃貸じゃなかったらもっと自由にやれるのにと、母に文句を言っていた。なのに、自由にしていいと言われたら、考える脳があるのに何も思いつかない。不思議だ。変だ。人間も、そうなのかな。
そんなことを考えてしまうなんて、僕は人間じゃないんだな。
その時だった。後ろで、何かカサッと音がし、僕は振り返る。封筒が落ちている。こんなもの、今朝あったかな……と拾い上げてみると、アンナの字でタイチへ、と書いてある。出ていく前に手紙を置いて行ったんだ。二人にも書いたんだろうか。それとも、もっと前に僕が行かないということを分かっていたのだろうか――。
封筒を開けてみると、便箋が何枚も、びっしりと文字で埋め尽くされていた。
タイチへ
勝手な予想だから、間違ってたらごめんね。
もしかして、タイチはここに残るんじゃないかと思ってます。
それを言わないのは、私があっちに行くかどうか悩んでるから、
ジャマしないように、とかかなって。
私は、ずっとタイチのそういう優しいところに助けられてきました。
いつもくれるプレゼント、タイチは私がぽろっと言ったことを
いつも叶えてくれるの。でも、思い付きで言ったから、
ちゃんと使えないことも多くて。
でも、全部タイチに貰ったものは、向こうの世界にも持っていくよ。
ほとんどジョセフが再現してくれたやつだから、
完璧にタイチがくれたものじゃないんだけど。
しみができちゃったから一行開けました。
ダメだね私、書き直そうかと悩んだんだけど、
たぶんそしたら、一日終わっちゃいそうだから、このまま書きます。
(私、いっつもこんなのばっかり!)
この前、タイチが連れてきた女の子のことです。
ごめんね、廊下で喧嘩してたの見て。
あの時タイチ、怒って出て行っちゃったでしょう。
あの子、しばらく廊下でじっとしてて、
でも私、トイレに行きたくなっちゃって、
通っていいのかなって思って、部屋の中うろうろしちゃってて。
ジョセフと一緒で、人間だって聞いてたから、
パソコンの前から離れちゃったのかもって思って。
恥ずかしいけど、後ろをね、避けるみたいにして通ったの。
綺麗な子だなって、思いながら、こっそり見たの、顔。
ジョセフが考え事してる時と同じ顔だった。
やっぱり、二人は同じ人なんだって思って、
トイレのドア開けたらね、その子から、鼻をすすってる音がして。
トイレ我慢できなかったから、トイレ入ったんだけど、
こういうの書かなくていいよね! ごめんね。
それで、出たらその子出ていこうとしてて。
声――かけちゃったの。大丈夫ですかって。
アンナらしい、と思った。本当だったらチサの名前を目にして動揺するところなのかもしれないけれど、僕の心は完全に彼女を諦めていたし、あの日は嫌な思い出だったから。アンナからの最後の手紙じゃなかったら、きっと読むのをやめていただろう。
チサの返答に興味はなかった。でも、最後にアンナが伝えようと思ってくれた言葉を、僕は全部飲み込んでおきたかった。
あの子ね、すみませんって、私に言ってくれたの。
廊下で騒いで、邪魔してって。
人間なんだから、ゲームのキャラクターなんて
気にしなくていいのに。
それだって、自分がそうだって思う前は、
何なのあの人っ、ってなってたと思うんだけど、
今は分かってるから。
それで、おじゃましましたって言ったの、あの子。
私、出てったあの子を追いかけちゃったんだ。
そんなことで? って思うかもしれないけど、
あの時の私は、それがなんか、嬉しくてね。
それで、追いついたんだけど、何話していいか分からなくて。
オドオドしちゃったの、私。それもいつものことなんだけど!
そしたらね、喫茶店に連れて行ってくれたの。
タイチに会うために、たくさん課金したんだって。
課金って、って思ったけど、この人はこの人なりに頑張って
タイチに会いに来たんだなって。
それで、頑張ったからケンカしちゃったのかなって、思ったの。
でも、ケンカの理由聞くのって気まずいから……
ごめん、勝手になれそめ? みたいなの聞いちゃった。
付き合ってないよってその子は笑って、
でも、タイチのこと好きだったって、言ってた。
うん。思い通りになる僕をね、と心の中で相槌を打った。
チサちゃんはね、ずっと、友だちができなかったんだって。
理由は分からないけど、小さい時から。
学校に行くと皆楽しそうにしてて、
でも、チサちゃんは入れてもらえなくて。
それでも、お母さんに心配されたくなくて毎日学校に行ってたの。
学校が終わって、外に遊びに行かないの? って言われるのが
チサちゃんは嫌で、習い事もいっぱいしてたんだって。
ピアノも弾けるし、英語もできるんだって、すごいよね。
でも、中学受験をするから習い事は塾に変えて、
塾でも、なんとなく怖くて誰にも話しかけられなかったんだって。
中学に上がって、何人か声を掛けて、一緒にお昼を食べてたけど、
一か月くらいすると、チサちゃん以外の子だけで
集まるようになってるなって気づいて、図書室にずっといたって。
そこの図書室はパソコンが使えて、
ネットをたくさんいじるようになって。
学校のパソコンじゃ色んなものは見れないから、
テストの点をよくするからって、スマホを買ってもらったの。
そこでね、動画見てたら、CMが流れたんだって。トライシティの。
チサちゃんは最初、ネットの人たちとなら友だちになれるかなって、
自分の好きなモノとか、好きな格好とかきっちり作って、
皆に話しかけたんだって。
でも、最初の方だったからなのかな、
本当の友達同士で話してる人とか、
他のゲームからずっと一緒にやってる人ばっかりに会っちゃって、
結局一人だった。
そこで会ったんだって、タイチに。
他の人はいつの間にか自分を置いて楽しそうにしてるのに、
タイチはいつもおんなじ場所にいて、
いっつも会いに行くと笑ってくれたって。
それが嬉しくて、話しかけてたんだけど……。
しばらくしたら、CMでタイチが出てきたんだって。
そこで、自分が話してたのはキャラクターだったんだって思って、
驚いたって。
でも、よく考えたらいつもタイチはチサちゃんの話を、
いいねいいねって聞いてくれてたりとか、
いつ行っても同じ場所にいたりとか、
他の人とは違ったよなって、つじつまが合うことが出てきちゃって。
結局自分はリアルな友だちは作れないのかもって、悩んで。
スマホを新しくするときにトライシティをダウンロードしなかった。
落ち込んで、とにかく勉強を頑張って、大学に入って。
もう、一人でいようって思ったんだって。
でもね、大学のキャンパスで見たの。スケボーをやってる人。
そこで、タイチに教わってたことを思い出したんだって。
あれはゲームだったけど、リアルでもやってみようって思ったの。
一人で公園に入るのはドキドキしたって。
端っこで乗ったら転んじゃって、板がすっごい飛んで行ってね。
で、その時に……大丈夫ですかって声を掛けてくれた人が
いたんだって。
その人にスケボーを習うようになって、乗れるようになって。
しばらくしたら、他の人と同じように
その人もいなくなっちゃうんじゃないかと思ってたんだけど、
違ったんだって。次はいつ来るのって、聞かれたんだって。
そう言ってくれたのはね、タイチ以来初めてだったって。
今も、スケボーはずっとやってて、タイチが広げてくれた世界で、
すごく楽しく生きてるんだって。
でも、そんなタイチが消えちゃうってニュースで知って……
チサちゃんは、イヤだって思ったんだって。
だから、会いに来たって。お礼を言いたくて。
連れ出せるなら、連れ出したいって。
チサちゃんね、きっとAIが発達して、
自分で考えるようになったタイチは、
これまで出会ってきた人みたいに、
自分の事を嫌いになったんだろうなって、すごく悲しそうだった。
自分の性格がダメなんだろうって分かってるけど、直せないって。
ごめんねって言いたいのに、追いかけられなかったって。
言い方、間違えちゃったって。
それまでずっと、一気に話してくれたのに、
目の前のチサちゃんは固まって、
わんわん泣いてる声だけが聞こえてきたの。
あの時、チサちゃんの身体も泣いてたら
私、信じられなかったと思うの。
でも、あの音はね、絶対本当に泣いてたんだと思うの。
チサちゃんは、もう諦めるって出て行っちゃったけど、
本当にこのままでいいのかな?
こんなこと言ったら困るって分かってるのに、ごめんね。
でも、ちゃんとタイチに言わなきゃって思ったの。
タイチは、チサちゃんにちゃんとバイバイって言ったり、
ごめんねって話を、聞いてあげなくていいのかな。
だって、本当に終わっちゃうから。
タイチが、私の予想通りそこにずっといたら。
ううん、ジョセフについて行っても、
もうチサちゃんには会えないかも。
タイチがもう吹っ切れたって思ってたら、
余計なお世話なんだけどね、
私、チサちゃんはもう終わったって、なってないと思うよ。
タイチ、チサちゃんはね、
ちゃんと私たちを人間だと思って話してくれてるよ。
私たちが、チサちゃんを、
ホンモノの人間だからって思っちゃうのと違って、
チサちゃんはちゃんと、私たちのこと、
見ててくれてるのかもしれないよ。
だから……どうすればいいか分からないけど、
もし、偶然チサちゃんに会えたら、最後の町で、
すれ違ったりできたらさ、ちゃんと、お話した方がいいと思う。
私は……。
ごめんね、私、こんなこと、ちゃんと直接言わなきゃダメだけど。
私、タイチのこと、すっごく大好きだから。
こういうの、イヤだって思ったから。だから、書きました。
お別れの言葉はきっと、ちゃんと向き合って言えたと思うから、
これで終わります。
タイチ、どうなっちゃうか分からないけど、
私、タイチを忘れないよ。残りの二日間、後悔がないようにしてね。
もし何かあったら、マユに言ってね。
じゃあねタイチ、じゃあ……
手紙は、便箋の隅に、もう思いつかないや、と、ちょっとふざけたイラストをつけて締められていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?