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本当の自立とは何か?人との出逢い・別れについて。

前回書いた、【人との出逢い・別れ】についての話を、もう少し書いていきます。

以前は人との別れを悲しんだり嘆くこともありましたが、今のわたしは、そういう感情をほぼ抱かないようになりました。(ただし死においては、まだそこに至っていない。これは今後の修行かな)


なぜなら、


縁がある人とは、然るべきタイミングで必ず繋がる


という強い確信ができたことが、そういう考えに至っています。


逆に言えば、あるタイミングでなくなる縁があるのも必然だと思っています。そこに対する執着みたいなものも、すっかり無くなってしまいました。


もう少し補足すると、繋がりが切れてしまった相手というのは、自分の人生に何らかの教訓や気づきを与えてくれるご縁であった場合が多いのです。


だからそのお役目が終わった時点で、切れる縁がある。
ただし、それに気づき理解することができるかどうかは、その人によります。特に別れにおいては、執着や被害者意識で自分の心が曇ってしまうので。


それとは別になりますが、何度も同じようなパターンで別れを経験してきているという方。
これは、自分の心のあり方に何か課題があるということです。そこに気づいて向き合っていかない限りは、時と相手を変えても、また同じような別れがやってくることになるでしょう。これに気づくことができるかどうかは、本人の意識レベルによります。


経験とそこから得た気づきに基づき、わたしは人との出逢いにも別れにも、今は強い執着がなくなってしまいました。
出会うべき人とは必ず出会うことになるし、離れる人ともそれが最善だったのだと捉えることができるようになり、それによって心は強く軽くなりました。


非情な言い方だと思われるかもしれませんが、他人との繋がりを必要以上に求めたところで、深く繋がる人は限られていると思っています。そしてわたしには今のところ、多くの関係性はいらない。自分を強く信じる心があるので、他人から何か(賞賛、評価、同情など)をもらおうという気もなくなってしまいました。


この考えを採用したいと思われる場合は、自分が自分とがっつり繋がっていることが前提となります
それが確立してしまえば、関わる他者から何かを奪おうとはしなくなります。


そういう精神のありようが、本当の自立じゃないかとわたしは思うのです。
経済的自立も大事ですが、自分の心が不安定で、常に外の世界に拠り所を求めているうちは、自立した人間とは言い難いのではないかと。


そのような自立した人間同士が繋がると、実に居心地のいい関係性が作れるのだろうなと思います。理想の友情やパートナーシップというのも、きっとこれが土台なのでしょう。
わたしが今求めているのは、そういう繋がりです。そして、そのような人とのご縁ができるような自分でありたいと思っています。


現実はすべて、自分の意識の反映。自分の中にないものを、現実世界で味わうことはできないのです。これは真理のひとつなので、ピンときた方はぜひ、心に留めておいてください。とてもとても、大事なことです。



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