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フンドシひとつで大般涅槃経を語りたい


観音さまに投げとばされた私の師には 
これまた最強の師がいらっしゃった。

残念ながらその大師匠とはお逢いすることは叶わなかった私だけれど
娑婆の荒波にもまれ沈み込みそうになる時 
決まって大師匠のあの笑顔を想う。
すると、なんだかお声が聞こえてくるような気がするから不思議だ。

「バカヤローどもだ。気にするな。オレがついてる!」と。


そんな大好きな大師匠の 秘書だった方の書いたエッセイを此処に ........



S師は、他人が素敵なものを持っていると 
必ず自分のものにしてしまう天才だった。
私は何度も目撃した。
某大臣と食事をしたとき、私も鞄持ちで同席した事がある。

某大臣は、フランス大使から貰ったばかりというデュポンのピカピカの金色のライターを持っていた。
 S師は、煙草に火をつけてもらうたびに
「いいライターだ」 
「いい音がする」 
「炎の色まで上品や」 
「おい 煙草の味まで違うぞ」

と褒めちぎり、帰る頃にはそのデュポンは先生のポケットに入っていた。

「先生 やりすぎではないでしょうか」 
と私が言うと
「お布施じゃ お布施」 
と答えたものだった。


ある資産家の豪邸に招待されたことがある。
茶室には素晴しい中国の古い掛軸がかかっていた。

「漢詩の意味がチンプンカンプンなんです。先生教えてください」

と、その家の主人が頼み込むと、博覧強記な師はたちどころに説明し
「詩には裏の意味がある。これは在家の人間より仏門に携わる人間が持ったほうが活きる書や」
と付け加えた。

数時間後、その掛軸はくるくると巻かれ 鞄持ちの私の手にあった。


さて―――― 今度はベンツだ。
四国の大将と言われたT氏の招待で、S師は松山を訪れた。

Tさんは空港まで迎えに来ていた、ベンツに乗り込んだ瞬間、S師は宣うた。

「いやぁT君、わしは何度も松山に来てるが ベンツから見る風景は、また違うて見えるな。夏目漱石もベンツに乗っとったら、『坊ちゃん』の作風も変ってたやろな」
「・・・・・・」
「エンジンの音も、アメリカのもんとは全然違うな?振動もええ。T君、なんでヒットラーは連合軍に負けたんやろ」
「・・・・・」
「ベンツは運転する車やないな。後ろに乗らんと価値はわからんわ」

三日間、Tさんに会うたびにベンツ、ベンツとまくし立て、帰る頃にはTさんから、ちゃっかり運転手ごともらってしまっていた。
そのベンツを、S師は亡くなるまで大切にしていた。


いつだったか――― 
(S師は月曜から金曜まで、ひとりでH町のマンションで仕事をし、週末、奥さんのいるC県のお宅に帰るのが常だった) 
泊りがけで先生のお宅に遊びに行くことになった。

テレビの録画を終え、夜の八時ごろ東京を出発した。百キロ以上のスピードで先生のベンツは疾走していた。
すると若者が運転するフェアレディが、われわれのベンツをすっと抜いていった。
そのときだった。
S師のいたずらっぽいチャーミングな眼光が 暗闇のなかでキラリと光った。

「おい!K  抜け!」
「はい!」

ベンツはスピードを上げ、あっという間にフェアレディを抜き返した。

すると、ステッキの上にアゴを載せながら、先生はいかにもうれしそうに、フェアレディを振り返りながら吐き捨てた。

「バーーカッ!!」

「先生、こんなにスピード出すと捕まりますよ」
と私が心配して言った。

「オレは国会議員だよ。祖国のために急用ができて、フルスピードを出すこともあると違うんか」
「なるほど恐れ入りました」




何度読んでも、おかしくて吹き出してしまう。

こんなエピソードを読んでいると、なんだか全然お坊さんらしくないなぁと思うけれど、実は天台宗の大僧正で、戸津説法の講師にまで選ばれた程のお方だった。

その戸津説法の結願の日のお話しでは 

「天台教学も時代と共に歩み続け、変化していかなければならない」
とし
「密教を独立させ、顕教の中には大般涅槃経を入れるという構想が、教学を再興させる方法ではないか」
というユニークな見解を示された。

 そして 
「講師などと堅苦しくするんではなく、褌一つでみなさんと大般涅槃経を語れるときが来るように・・・・・」

そう、結ばれたのだという。


こうして数々の武勇伝を知ると、大層がさつで乱暴そうなイメージのS大師匠だけれど、師はあえてこう仰っている。

「本当は実に上品な方で、心の繊細なこの上なく優しいお方なのである」 
と。



私も、心からそう思う。

御縁を頂けたことは、この上ない誇りである。




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