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084 Main: 私のインフルエンサー

第84回は、人生の転機を与えてくれた人について、おしゃべりしました。
やはり先生や師の存在は大きいのか、まぁちゃんは大学時代の先生、わたしは小学校時代の先生が一番に挙がりました。皆さまはいかがでしょうか。

今年のはじめ、亡くなった母の団地を整理する際に、わたしの小学校時代の卒業文集が出てきました。自分がどんな愚かなことを書いていたかは置いておいて、一番心に残ったのは、先生の文章でした。

今思えば、いまのわたしよりも若い、四十代の先生が書いた文章です。
字だけはうまいが、しょーもない戯れ言(失礼)を書いているほかの先生に比べて、我らが武内先生の言葉は光っていました。

当時、卒業文集とはいえ、卒業した後に印刷配布されたらしく、先生の文章には、卒業した我々が中学校の制服を着て、みんなで先生に会いに小学校に戻ってきた日の喜びが綴られていました。そして、卒業記念にクラスのみんなから贈られた木を縁側で眺めるたびに、わたしたちの無事な成長を願っている、という言葉で括られていました。

あの頃、先生といえば、大きな大きな大人でした。
自分が先生の年齢を超えて、四十になっても五十になっても、小学生の自分が想像していたような大人からはほど遠い存在です。むしろ、小学生のわたしが考えていた大きな大人など、この世にはいないのだ、と知るのです。
そして、この文章を書いた四十代の武内先生が、実はなんとかわいく、がんばっていたことだろう、と想像します。
端々に感謝の意があらわれている、その言葉の意味を当時とは違う気持ちで受け取るのです。

最近ちょうど、朝日新聞のポッドキャストで、コロナ禍において大阪の松井市長に異例の提言書を発信した小学校校長と、彼の教え子であるお笑いコンビかまいたちの濱家さんとの対話に関するポッドキャストを聞きました。とてもおもしろかったので、ここにシェアします。

ついでに、懐かしの「ぼくの好きな先生」もどうぞ。
(か)

アフタートーク版「試運転(短)」もSpotifyで聴けるようになりましたので、こちらも合わせてどうぞ ↓

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